走れない日のハイタッチ
雨が降り出すと、陸上部は一斉に器具庫へ逃げ込んだ。
私は一人、松葉杖で遅れていた。足首をひねってから十日。顧問には休めと言われたが、家にいるより、走っているみんなを見ているほうがましだった。
最後まで残った彼が、私の鞄を持って戻ってきた。
「先に行ってよ」
「器具庫、もう満員」
「嘘。さっき全員入った」
「じゃあ、ここがいい」
二人で体育倉庫の軒下に立った。雨はトラックを叩き、引いたばかりのラインを消していく。
彼は次の大会で、私の代わりにリレーへ出る。
「バトン、うまく渡せてる?」
「まあまあ」
「動画見た。遅い」
「怪我人に言われたくない」
「怪我人だから言えるの」
いつものように言い合ったあと、沈黙が落ちた。
私は濡れたトラックを見たまま言った。
「本当は、見たくない」
彼は返事をしなかった。
「私がいなくても四人で走れるの、当たり前なのに。ちゃんと速くなってるし。よかったって思うのに、腹が立つ」
雨音が大きくなった。
彼は鞄から四本の指に巻いたテーピングを見せた。バトン練習で皮がむけたらしい。
「代わりじゃない」
「何が」
「お前の場所を空けたまま、別の四人で走ってる。変だけど、そういう感じ」
意味がわからず、私は顔をしかめた。
「アンカーがゴールしたあと、全員でここに触ることにした」
彼は手のひらを上げた。
「お前の分」
私は松葉杖を脇へ寄せ、その手を叩いた。乾いた音は豪雨に消えたが、手のひらは痛いほど熱かった。
彼は雨で消えかけたトラックの第四レーンを指した。私がいつも走っていた場所だった。
「復帰したら、そこ空けるから」
「当然。取られたら抜き返す」
「怪我人のくせに強気」
「怪我人だから予定を先に決めるの」
「大会の日もやる?」
「来いよ」
「雨だったら?」
「濡れてでも」
雨はなかなか止まなかった。
器具庫から仲間たちが呼び、彼は私の松葉杖を一本持った。二人でゆっくり歩き出す。走れば十秒の距離に、何分もかかった。
それでも私は焦らなかった。
白線が全部消えたトラックの上に、戻る場所だけは見えていた。