返せない指輪

狭間庸一は昼休みになると、社員食堂のレジで感情スコアを測る。食事を選んだ瞬間の後悔値がレシートに印字されるので、同僚たちは占いのように見せ合っていた。庸一はいつも一桁だった。

その日も後悔値六。トレーのカレーを受け取り、数字を丸めてポケットへ入れた。

退勤後、彼は駅ビルの宝石店へ行った。上着の内ポケットには、小さな紺色の箱が入っていた。

三か月前、恋人の梢へ渡すために買った指輪だった。プロポーズの予定日は、彼女がくも膜下出血で倒れた日になった。箱は一度も開かれないまま、葬儀にも持っていった。

店には店員が一人もいなかった。鏡張りの壁に、箱を握った自分だけが何人も映っていた。返品台へ箱を置くと、購入記録と、購入日の幸福スコア九十四が浮かぶ。

《未使用を確認。返品には後悔値七十以上が必要です》

無駄な買い物を安易に返す者を減らすため、返品理由は感情だけで審査される。庸一は手首を置いた。

《後悔値八。返品不可》

「相手が死んだんだ」

《商品への強い愛着を検出しました》

「指輪じゃない。渡せなかったことだ」

もう一度測る。九。購入時より感情が強いという補足だけが表示された。

画面には提案が出た。

《保有継続を推奨します》

《新しいパートナーへの転用適合率:八十三%》

庸一は端末を殴りそうになり、手を引いた。怒りは測られても返品には関係ない。

箱を開けた。細い輪が白い光を返す。梢が欲しがっていた形ではない。彼女はもっと小さな石がいいと言ったのに、庸一は見栄を張って高いものを選んだ。それを思い出すと、後悔値が三十二まで上がった。

足りない。

梢の母に渡すことも、海へ捨てることも考えた。それでも指輪がなくなれば、渡すはずだった未来まで消える気がした。

閉店の音声が流れる。

《返品意思が不十分です。商品をお持ち帰りください》

庸一は箱をポケットへ戻した。代金より高い解約手数料を払えば処分だけはしてもらえるが、それは返品ではない。

店を出ると、食堂アプリから通知が来た。

《本日の食事に対する後悔値が基準を超えました。明日の大盛り注文を制限します》

昼のカレーの味はもう覚えていない。

指輪だけが、掌の熱を布越しに返していた。