返却期限のない頁

白浜月子は、古本の箱から薄い文集を引き抜いた。実家を売るための片づけで、捨てる本と残す本を分けていた。表紙に自分の指紋がつくと、紙の古い匂いの奥から、放課後のストーブの灯油臭さまで戻ってきた。高校の文芸部が卒業前に作った最後の一冊で、表紙には窓際の席を撮った写真が使われている。開くと、月子の小説だけ最後の頁が白かった。

印刷の日、職員室の輪転機は何度も紙を詰まらせた。部員たちはインクで指を汚しながら、夕方まで頁を重ねた。月子の作品は、家を出る少女が駅のホームに立つところで終わるはずだった。最後の一行だけは、何度も書き換え、別の紙に清書して持ってきていた。

ところが製本してから、最終頁が一枚抜けていることに気づいた。卒業式は翌朝。用紙も針も足りず、刷り直しはできなかった。

「結末がない方が、それっぽいよ」

部員は慰めた。月子も笑った。けれど本当は、その一行を書くために三年間、文芸部にいたような気がしていた。

皆が帰ったあと、月子は窓際の席で、完成した文集を一冊ずつ開いた。白い頁へ万年筆で結末を書こうとしたが、十四冊目でインクが切れた。自分の分だけ、白紙のまま残った。

翌朝、文集は部員や先生に配られた。月子は誰にも結末を尋ねられなかった。書いた一行も、卒業と一緒に忘れた。

それから月子は、書き始めても最後まで続けられなくなった。仕事のメールは結べるのに、物語だけは途中で閉じる。完成させれば、何かを失う気がした。

今、白い頁を指でなぞる。紙は黄ばみ、窓際の写真の机も、校舎の改修でなくなっている。

月子は引き出しからペンを出した。昔の結末を思い出そうとはしなかった。あの日の少女がどの電車に乗ったかは、もう重要ではない。

白い頁に、現在の自分の字で書く。

――彼女は、行き先を決めてから歩いたのではない。歩き出したから、行き先ができた。

文集を閉じても、胸は空にならなかった。月子は新しい原稿を開き、途中だった段落の次へカーソルを置いた。

返却期限のない頁を、ようやく先へ送った。