通勤身体の私用

宇津木渉吾は毎朝、会社支給の通勤身体へ接続する。自宅、駅、オフィスを結ぶ認定経路だけなら利用料は無料。従業員の身体は就労のために使い、私用で経路を外れてはならない。それが福利厚生の唯一の条件だった。

妹の琴映から電話が来たのは、始業十分前だった。

『お父さん、もう長くないって』

父は郊外の病院にいた。渉吾の本体は筋疾患で動かない。自力で会いに行けるのは、今使っている会社の身体だけだった。

上司へ早退を申請する。

《親族の危篤は私用です》

《身体の返却後に移動してください》

返却すれば、保管槽の本体へ戻る。介護車の予約は三日後まで空いていない。

渉吾は端末の経路表示を消し、病院行きの電車へ乗った。

最初の二駅は何も起きなかった。

三駅目で通知が届く。

《認定経路から二百メートル逸脱しました》

《身体機能を段階的に制限します》

右手の指が動かなくなる。

四駅目、左脚。

病院最寄りで降りたときには、肩と首しか動かなかった。渉吾は壁に寄りかかりながら、残り六百メートルを進む。

琴映から映像が来る。父は酸素マスクをつけ、目を閉じている。

『兄ちゃん、まだ?』

「もう着く」

その発言が音声端末に拾われた。

《私的目的を確認》

《契約違反を確定します》

身体の腰から下が完全に停止した。

渉吾は歩道に倒れた。通行人が救急を呼ぼうとするが、会社資産である身体は一般救急の搬送対象外だった。回収車だけが向かっている。

彼は腕だけで這った。手のひらが擦れても、会社へ傷の報告が送られるだけだった。

病院の玄関が見える。

《全身停止まで 00:30》

琴映が玄関から飛び出してきた。

「兄ちゃん!」

彼女が腕をつかむ。残り十メートル。

《00:03》

渉吾は父の病室がある窓を見上げた。

身体が止まり、意識は会社の保管槽へ戻された。

目を開けると、勤務端末に解雇通知が出ていた。

《会社資産の私的利用により契約を終了します》

同時に琴映から、父の死亡連絡が届く。

最終面会者欄には《長女一名》とだけ記されていた。

渉吾が病院へ向かった移動履歴は、認定外経路として会社の記録から削除された。

父のもとへ行こうとした身体も、翌朝には別の社員の通勤経路を歩いていた。