適当は食品名じゃない
智也が会社を辞めたと知ったのは、母ではなく管理会社からの電話だった。保証人になっている部屋の家賃が二か月遅れているという。
奏志は、母の再婚相手の息子だ。義理の弟になったのは十年前だが、同じ家で暮らしたのは一年にも満たない。奏志は大学を中退して家を出て、その後は正月にも戻らなかった。
智也が部屋を訪ねると、冷蔵庫は空だった。奏志は布団に座り、「来月には払う」と言った。
「仕事は」
「探してる」
「何食ってる」
「適当」
「適当は食品名じゃない」
智也はスーパーの袋を床へ置いた。米、卵、鶏肉、豆腐、冷凍野菜。奏志は迷惑そうな顔をしたが、袋から豆腐を取り出して賞味期限を確認した。
二人で冷蔵庫を掃除した。奥から黒くなったレモンと、いつのものか分からない調味料が出てきた。奏志が捨て、智也が棚を洗う。電源を切った庫内は静かで、話す声が妙に響いた。
「母さんには言うな」
「家賃のことはもう言った」
「最悪」
「俺も保証人として最悪だ」
智也は鶏肉を小分けにし、下味をつけた。奏志は米を研いだ。手つきは意外に丁寧だった。
「料理できるんじゃないか」
「店で働いてた」
「辞めた理由は」
「店長殴りそうになった」
「殴ってないなら、まだまし」
「そういう褒め方ある?」
炊き上がった米で親子丼を作った。味は濃かった。奏志は黙って二杯食べ、残りを保存容器へ詰めた。
帰る前、智也は冷蔵庫の棚を戻した。奏志がマスキングテープを持ってきて、左側の棚に一本貼った。
「そこ、そっちの分」
「俺は住まない」
「また勝手に食材入れるだろ」
「家賃を払えたら来ない」
「じゃあ、そのまま空けとく」
智也は財布から金を出しかけ、やめた。代わりに求人情報を印刷した紙をテーブルへ置いた。奏志は見なかったが、捨てもしなかった。
一か月後、家賃は半月分だけ振り込まれた。奏志からは〈倉庫、夜勤〉とだけ届いた。智也は返信せず、仕事帰りに安売りの鶏肉を買った。
部屋を訪ねると奏志は不在だった。預かっていた鍵で入り、冷蔵庫を開ける。左半分はきれいに空いていた。右半分には、二人分には少し多い味噌汁の鍋が入っていた。
智也は鶏肉を左に置き、鍵を元の封筒へ戻さず、財布のカード入れに差した。