金糸の喪服

 金糸の喪服を着て蝋燭をともすと、火が消えるまで死者と話せる。代金は、その死者とのいちばん幸福な記憶だ。

 フローラは母ダリアの一周忌に、喪服の襟を留めた。

 聞きたいことは山ほどあった。店の借金をどう返せばいいか。母しか知らない香草酒の配合。求婚してきた人を信じてよいのか。

 母が亡くれてから、常連は少しずつ減った。フローラは同じパンを焼いているつもりなのに、「何か違う」と言われる。朝四時に窯へ火を入れ、夜は帳簿の赤字を数えた。店を残すことが母を愛した証なのか、店にしがみつくことが母の死を受け入れない言い訳なのか、自分でも分からなくなっていた。答えが欲しいというより、決めたあとで母に叱ってほしかったのかもしれない。

 蝋燭に火をつけると、台所の椅子に母が座っていた。亡くなる前より少しふっくらし、粉だらけの前掛けをしている。

「ずいぶん痩せたね」

「お母さんこそ、死んだのに口うるさい」

 二人は笑った。

 幸福な記憶として奪われるのは、きっと十二歳の冬だ。雪で客が来ず、母と一日中、林檎と肉桂のパンを焼いた。失敗作を二人で食べ、夜まで腹を抱えて笑った。フローラが料理を仕事にしようと思った日でもある。

「配合を教えて」

 そう言うつもりだったのに、口から出たのは別の言葉だった。

「私、店を畳んでもいいかな」

 母は驚かず、頬杖をついた。

「それを聞くために、いちばん大事な思い出を払うの?」

「自分で決めるのが怖いから」

「じゃあ答えは教えない。怖いまま決めなさい」

 蝋燭は半分になっていた。

 フローラは母の手に触れようとした。温度はない。それでも指の形は、パン生地を丸めるときと同じだった。

「最後に、何か言って」

「店でも恋でも、残したいものより、残ってしまうものを大事にしな」

 火が揺れた。

「それから、林檎は薄く切りすぎないこと」

 蝋燭が消える。

 母の椅子は空になり、台所には焼きたての肉桂パンが一つ残っていた。

 フローラはかじった。甘く、温かい。なのに、なぜ涙が出るほど懐かしいのか、もう思い出せなかった。