金継ぎの甘さ
藤堂莉央奈が喫茶ルリへ入ると、窓際の席に、小さな砂糖壺が置かれていた。白い陶器の胴を、金色の線が斜めに走っている。亡くなった先輩がいつも蓋を二度鳴らしてから角砂糖を取った、あの壺だった。
先輩は同じ会社で、莉央奈の教育係だった。明るく働き、誰より早く返信し、ある月曜の朝に出社しなくなった。過労が原因だと噂されたが、会社は私生活の問題として処理した。莉央奈の受信箱には、先輩が残した深夜の業務メールが何十通もある。送信時刻は午前一時、二時、四時。どれも文面は丁寧で、助けを求める一行はなかった。その丁寧さを、会社は本人が平気だった証拠に使った。
明日、人事との面談がある。莉央奈は退職届だけ出すつもりだった。先輩のメールを見せれば、遺族でもないのに騒ぐなと思われるかもしれない。自分が楽になるために死者を利用するのではないか。そう考えるうち、何も言わず辞めるのがいちばん静かな方法に見えていた。けれど静かに辞めれば、受信箱の時刻も、次の担当者へ回される仕事量も、そのまま残る。
店主は注文を取らず、砂糖壺をカウンターへ運んだ。店を畳むため、常連が使った器を少しずつ譲っているという。莉央奈が買いたいと告げると、店主は壺を明かりへ透かし、金の線を指先でなぞった。
修理前、この壺は蓋まで割れていたらしい。今も形はわずかに歪み、蓋を置くと一度では合わない。店主は向きを変え、二度目でぴたりと閉じた。その所作を何度か繰り返し、会計台へ置いた。
値札には「難あり」と書かれていた。店主はその三文字へ横線を引き、隣に「使用中」と書き直した。贈答用の箱ではなく、毎日出し入れできる厚手の布袋へ入れ、口を固く結ばずに渡した。
莉央奈は店を出てから、スマートフォンで退職届の添付を外した。代わりに、先輩の深夜メールを時刻順にまとめたファイルを添える。件名は何度も迷った末、「面談前に確認してほしい記録」とした。
送信すると、布袋の中で蓋が小さく鳴った。壊れていたことを隠す音ではなく、まだ使われている器の音だった。