針山の採寸

 私の名は豆針。針鼠である。

 人間の籾井陽毬は、洋服の仕立てを仕事にしている。彼女は布の長さを測り、袖の幅を測り、客の肩が左右で何ミリ違うかまで測る。

 そのくせ、自分の睡眠時間だけは測らない。

「あと一着」

 陽毬が言う。

 まただ。

『その台詞は昨夜も聞いた』

「豆針、今鳴いた?」

 私は鳴いていない。心の中で指摘しただけだ。彼女には、ときどきそれが届くらしい。

 陽毬が私を迎えたのは二年前。縫製工房の裏で、段ボールへ入れられていた。針だらけの小動物を見て、「同業者みたい」と笑ったのが始まりだ。

 私は同業ではない。私の針は、締切に追われても抜けない。

 春物の注文が重なった週、陽毬は三日続けて夜更かしをした。

 指には絆創膏、肩には糸くず。机の脇の紅茶は冷え、香りも消えている。

「この袖口だけ終われば」

『縫い代を残せ』

「え?」

『布にも生活にも、余りは必要だ』

 陽毬は手を止め、私の飼育箱を覗いた。

「今、喋ったでしょう」

 私は床材へ鼻を埋める。言ったが、認めるほど安売りはしない。

 彼女は再び針を持った。

 そこで私は回し車を降り、箱の入口へ座った。動かず、見つめる。

「そんな顔しても」

 見つめる。

「納期は明後日」

 見つめる。

「……今日は仮縫いまで」

 ようやく針が布から離れた。

 陽毬は電気ケトルで湯を沸かし、新しい紅茶を淹れた。乾いたラベンダーを一つまみ入れると、部屋へ柔らかな香りが広がる。

 私には温めた寝袋が用意された。フリースで縫った、彼女の手製だ。縫い目は少し曲がっているが、そこがよい。

 翌朝、陽毬は袖口をほどき、幅を三ミリ広げた。

「昨日のまま仕上げなくてよかった」

『だろう』

「やっぱり聞こえた」

『気のせいだ』

 彼女は笑った。

 仕事を納めた夜、陽毬は私を掌へ乗せた。

 疲れた指が背中の針の間をゆっくり撫でる。

「私にも縫い代、残せたかな」

『一晩ぶん』

「少ないね」

『まずは十分だ』

 今度ははっきり届いたらしい。陽毬は驚かず、ただ目を細めた。

 机には畳んだ布、湯呑みには温かな茶。羊毛とラベンダーの匂いの中で、私は彼女の掌へ体を丸める。

 採寸不能の温度というものが、この家には確かにあった。