鈴の鳴らない防音室
音響設計会社の鳴海榴は、鈴のついた室内履きで歩く。
赤い作業つなぎの足元から、ちりん、ちりん、と会議中でも音がする。防音を売る人間として致命的だが、本人は気にしない。
「静けさは音を消すことじゃない」
比良坂つかさは、その鈴が苦手だった。自分の机へ近づく足音が分かるたび、開いていたオーディションサイトを閉じるからだ。
歌手になりたかったことを、会社では誰にも言っていない。仕事帰りに受ける最後のオーディションが近いのに、練習場所がなく、つかさは試作防音室を無断で使おうとして榴に見つかった。
「始末書を書きます」
「音を出す部屋で音を出して、何の始末だ」
「私用です」
「相談はそこからだな」
つかさは、同僚に知られず一時間だけ借りたいと頼んだ。落ちた時に慰められるのも、夢を笑われるのも嫌だった。
榴は防音室へ入り、鈴を鳴らしながら隅々を歩いた。完全に音が消える位置ではなく、声が自然に返る位置へマイクを置く。
「この部屋、外へ漏れないことしか評価してませんでした」
「閉じ込める設計は牢屋だ。戻ってくる音も測れ」
彼女はオーディション練習を、残響試験として正式な予定表へ入れた。提出先は開発部、担当者は榴とつかさ。私用を隠すのではなく、仕事の検証と両立させたのだ。
さらに榴は、録音データの閲覧者を二人だけに設定した。社内発表には声そのものを使わず、周波数のグラフだけを載せる。夢を仕事へ利用しても、見世物にはしない線を引いた。録音を終えたつかさが扉を開けても、榴は合否を訊かなかった。代わりに残響時間の表へ「本人が声を出しやすい」という新しい評価欄を加えた。夢を測定値へ縮めるのではなく、設計の方を広げたのだ。
「落ちたら、データだけ残りますね」
「受かったら、データが取れないとでも?」
練習当日、榴は片方の履き物から鈴を外した。それを防音室の外、ドアノブへ結ぶ。
「鳴ったら誰か来た合図。歌を止めるかは君が決めろ」
いつもうるさかった鈴が、今日は沈黙を守る見張りになった。
つかさが歌い終えるまで、一度も鳴らない。ドアを開けると、榴は廊下の床へ座り、片足だけちりんと鳴らした。
「静けさは音を消すことじゃない。出したい声を、選べることだ」