鍵についた名前

「この鍵は、植物のためだから」

高梨佳音が栗原悠人から合鍵を預かったとき、二人はそう確認した。

出張の多い悠人に代わり、佳音が観葉植物へ水をやる。冷蔵庫の期限切れを捨て、届いた宅配便を部屋へ入れる。それ以上のことはしない。

けれど悠人は、佳音が来る日に好きなアイスを冷凍庫へ入れた。佳音は水やりのついでに夕食を作り、二人分を保存容器へ分けた。

友達の部屋に、自分のマグカップとスリッパが増えていく。それでも鍵についた白い札には、《植物用》と書かれていた。

佳音が来ない週、悠人はわざわざ植物の写真を送り、《元気》と報告した。佳音も《植物が?》と返し、彼が答えを濁すところまでが、二人だけのやり取りになっていた。

悠人が川向こうの街へ引っ越すことになった。今より電車で四十分遠くなる。新居には日当たりのいい広い窓があるらしい。

引っ越し当日、佳音は最後の鉢を運び、古い部屋の鍵を返した。

「これで役目終了」

笑って言うと、悠人は鍵を受け取り、白い札を外した。佳音の指が急に軽くなる。

新居へ着き、段ボールを開けていると、悠人が小さな箱を差し出した。

中には新しい鍵が一本。青い札に《佳音》と書かれている。

「植物、まだ一鉢も置いてないよ」

「置く予定はある」

「じゃあ、そのときでいいでしょ」

「植物が来る前から、持っててほしい」

悠人は告白の代わりに、玄関の暗証番号を佳音の誕生日から二人が初めて会った日に変更した。スマホの予定表には、隔週土曜の《佳音が来る日》。さらにその翌週には、《悠人が佳音の家へ行く日》が登録されている。

佳音は鍵を握り、彼の手へ重ねた。

「水やりは、毎週じゃなくていいよ」

「知ってる」

「アイスも、置かなくていい」

「それは置く」

佳音は笑って、青い札の《佳音》の横へ《と悠人》と小さく書き足した。それから彼の指をつかみ、新しい部屋の真ん中へ引く。

鍵は植物のためだった。

植物のない新居でも渡された一本は、世話をする人ではなく、帰ってきてほしい人の名前をつけていた。