鐘が鳴る前に

「鐘が鳴る前に起こします」

夜明け係の侍女マヤリは、修道院の客人を案内するたびそう説明した。

王族も巡礼者も同じ硬い寝台へ通し、毛布を一枚掛け、水差しを満たす。朝になれば扉を二度叩く。それだけの仕事を十年続け、誰より早く起きても、祈祷の列ではいつも最後に並んだ。

見習いのソランが夜番をしていた時、客室から笑い声が聞こえた。

眠っている大司教の胸に、角のある黒い子どもが座っていた。

夢魔《暁喰い》。夜明け前の夢を食べ、目覚める力ごと奪う怪物だ。大司教の呼吸はすでに細く、子どもの口元から白い夢が糸のように吸われている。

ソランは聖句を唱えようとした。

黒い子どもが振り向き、指を唇へ当てる。声も身体も動かなくなった。

そこへマヤリが入ってきた。

彼女は枕元の小鐘を持ち上げた。

だが鳴らさない。舌を指で押さえ、鐘の縁を爪で一度なぞった。

音のない鐘が、夢の中だけで鳴った。

黒い子どもの胸に穴が開く。

悲鳴は現実へ届かず、怪物は驚いた顔のまま内側へ折り畳まれ、小鐘の中へ吸い込まれた。大司教の胸へ白い夢が戻り、呼吸が深くなる。

ソランだけが床の水差しに映る一部始終を見ていた。

かつて夢の中へ入り、眠る暴君百人を同じ夜に葬った伝説の暗殺者《無音鐘》。その正体を見た者は、起きた時にはすべて忘れるという。

マヤリは鐘の中へ指を入れ、小さな黒い角を摘み出した。燭台の火にかざすと、角は青い煙になって消える。乱れた毛布を直し、水差しに落ちた煤を捨て、新しい水を注いだ。

身体の自由を取り戻したソランは、彼女の袖を掴んだ。

「無音鐘……なのですか」

マヤリは困ったように眉を下げる。

「夢を見ていたのですよ」

「僕は起きていました」

「では、朝の祈りまで秘密になさい」

優しい声だったが、拒める気はしなかった。

やがて塔の鐘が夜明けを告げる。

大司教は自然に目を開き、よく眠れたと微笑んだ。怪物が座っていた胸元には皺一つない。

マヤリは次の客室へ向かい、いつものように扉を二度叩く。

そして眠りの底まで届く声で、最初の言葉を繰り返した。

「鐘が鳴る前に起こします」