開演五分前の配役表

 開演五分前、主演の高校生が声を出せなくなった。

 市民演劇祭の舞台袖で、演出助手の矢吹颯斗は配役表を丸めた。

「中止にします。代役の烏丸史織は稽古不足ですから」

 史織は衣装を着たまま立っていた。半年間、主演の台詞も動きも覚えてきた。だが彼女へだけ稽古時間の変更が伝わらず、到着すると片付けが終わっている日が続いた。颯斗は皆の前で「また遅刻」と記録した。

「私は出られます」

「一度も通し稽古をしてないだろ。失敗されたら劇団の恥だ」

 史織が答える前に、舞台監督がインカムを外した。

「通し稽古なら、毎週日曜の朝にやっています」

 颯斗が振り返る。

 主演が部活で遅れる日、史織は一人で照明と音響のきっかけを合わせていた。舞台監督は安全確認のため、その映像をすべて保存している。

 タブレットに、誰もいない客席へ向かって演じる史織が映った。立ち位置も転換も、本役と同じだった。

「でも観客の前では別です」

 颯斗はなおも止めた。

 客席から開演ベルを待つざわめきが聞こえる。史織は舞台監督から主演用の小道具を受け取った。

「失敗したら、私の責任にしてください」

 史織の母は客席最後列にいた。稽古時間を間違えた娘を何度も車で迎えに来て、それでも「辞めたい」と言わなかった理由を知っている。史織は最後列を見ず、目の前の相手役だけを見た。舞台の上で必要なのは、誰に嫌われたかではなく、次の台詞を誰へ渡すかだった。

 幕が上がった。

 最初の台詞で客席が静まり、三場の笑いが予定どおり起きた。史織は相手役の呼吸を拾い、主演が苦手にしていた長い独白を、一語も急がず言い切った。終幕の暗転直前、拍手が先に立った。

 カーテンコールのあと、演劇祭の審査員長が舞台へ上がった。

「審査前に、劇団から提出された出欠記録を確認しました」

 颯斗が作った表では、史織は七回欠席になっている。だが稽古場の電子鍵には、七回とも史織が定刻前に入室し、その後、颯斗の端末から予定変更が送信された記録があった。送信先から史織だけ外されていた。

 劇団代表が颯斗の腕章を外す。

 審査員長は賞状の名前を読み上げた。

「最優秀演技賞、そして次回招聘公演の主演推薦は、烏丸史織さんです」