降りてはいけない駅
最終電車が羽黒谷トンネルへ入ると、路線図にない駅が現れた。
白いホーム。壊れた時計。駅名標には〈かえりみち〉とある。
「この駅では、降りないでください」
運転士の放送が流れるたび、美濃部匠の隣に座る少女が立ち上がった。紺色の学生鞄に、鈴の取れた熊の飾り。七年前に踏切事故で死んだ妹と同じだった。
「兄ちゃん、迎えに来たよ」
少女が降りると扉が閉まり、列車は再びトンネルへ入る。五分後、同じ白いホーム。同じ放送。同じ笑顔。
一周目、匠は腕をつかんだ。少女の皮膚は雪のように冷たく、指の間からほどけた。
二周目、熊の飾りを奪った。少女は別の車両から降りた。
三周目、匠自身がホームへ足を出した。遠くに、事故の日の妹が立っていた。遮断機の音と、言えなかった「待て」が耳を裂いた。
「兄ちゃん、迎えに来たよ」
その瞬間、匠は気づいた。迎えに来たのは少女ではない。自分の方だ。妹の命日に毎年この終電へ乗り、事故現場の駅を通過してきた。呼び戻したいという願いが、存在しない駅を作った。
車掌室の非常電話を取ると、受話器の向こうから自分の声がした。
『終点へ進む条件は、乗客が呼びかけに応じないこと。応じれば五分前へ戻る』
目的は妹を降ろさないことではなかった。妹の声を、妹だと認めないこと。
白いホームが四度目に現れる。
「この駅では、降りないでください」
少女は熊の飾りを握った。
「兄ちゃん」
匠は耳を塞がなかった。最後まで声を聞いた。幼い日の呼び方、泣き癖、事故直前の息。そのすべてを胸に入れてから、首を横に振った。
「俺に妹はいない」
言葉にした途端、少女の輪郭が揺れた。悲しそうでも、怒ってもいなかった。ただ熊の飾りを座席へ置き、白いホームへ残った。
扉が閉まる。駅名標が闇へ沈み、列車はトンネルを抜けた。
午前零時を過ぎても時間は戻らなかった。
終点で匠は熊の飾りを拾った。鈴の跡はあるが、誰が持っていた物か思い出せない。スマートフォンの家族写真を開いても、自分の隣だけ不自然に空いて見えた。
彼は飾りを遺失物窓口へ渡した。
「妹さんの物ですか」と駅員に聞かれた。
匠は答えず、始発とは反対の出口から駅を出た。