雨を呼ぶ赤旗
真砂弥一が背負った旗は、乾いているあいだ白かった。
海峡の小国・那岐では、白旗は降伏、赤旗は夜襲を意味する。弥一の布には塩と蘇芳を染み込ませてある。雨を吸えば白が溶け、下から赤が浮く。
敵の水軍は島城を三重に囲んでいた。弥一は洗濯人に化け、奪われた旗や陣幕を竹籠へ詰めて敵船へ乗った。兵は濡れた褌を投げ込み、笑いながら銭を一枚も払わなかった。
空は重い。雨は来る。問題は、早すぎても遅すぎても駄目なことだった。
弥一は雲の匂いを読む漁師の子だった。西風に海藻の生臭さが混じれば雨は近い。だが今夜の風には、敵船の松脂と火薬の臭いしかない。空の都合は、伝令の都合を聞かない。
敵陣の中で赤くなれば斬られる。島城へ着いても白いままなら、守兵は門を開けて降伏する。
二隻目の番船で、敵の船頭が籠から旗を引き抜いた。
「上等な白だ。明日の降伏式に使える」
弥一は笑って手を伸ばした。
「塩抜き前です。雨に当てるとまだらになります」
「なら今洗え」
船頭は旗を海へ投げた。
弥一の腹が冷えた。海水でも染めは動く。旗は船腹に沿って広がり、白地の下から赤い筋がにじみ始めた。
兵の一人が気づく。
「血か」
弥一は迷わず籠ごと海へ落ちた。旗をつかみ、船の影へ潜る。槍が水面を突き、背中をかすめた。彼は息を吐き切り、潮に流されるふりをして敵船の列を抜けた。
潮は敵船の外へではなく、包囲の中心へ戻ろうとしていた。弥一は濡れた旗を歯でくわえ、片腕だけで岩礁を回った。肩の皮が珊瑚に削れ、海水が傷へ染みた。
島城の岩壁まで泳いだとき、旗は半分だけ赤かった。城上から弓が向く。
「白旗の使者か!」
弥一は答えず、濡れた布を岩へ広げた。まだ白い部分が残っている。雲は低いが、雨は落ちない。
背後から敵の小舟が来る。櫂の音が近づく。
弥一は短刀で掌を切り、血を旗へ擦りつけようとした。だが自分の血では、城兵が偽装と見抜けない。
そのとき、海面に一粒の輪ができた。
二粒、十粒。雨が来た。
白が流れ、蘇芳の赤が一気に布を満たす。城壁の兵が息をのむ。
弥一は赤旗を両手で掲げたまま、小舟から飛んだ矢を肩に受けた。
島城の櫓で、同じ赤旗が三本、雨の中へ上がった。