霜を噛む剣環
凍った港で、エギル・スヴァンは剣の柄頭から銀環を外しかけていた。
環には、死んだ首長の名が刻まれている。主を守れなかった二人の近衛――エギルとハルヴォル・ケルド――は、その環をどちらが持つかで三年争った。
今夜、南へ出る最後の長船が一人だけを雇う。北の村々は焼かれ、港に残る食料は干魚二樽だけ。船に乗れなければ、春まで氷の町で飢える。ハルヴォルには老母がいた。エギルには借金取りしかいなかった。生きる理由の重さは、剣の重さとは逆だった。船長は氷上へ槍で円を描いた。甲板では櫂手たちが賭けをしていた。勝者の名ではなく、どちらの血が先に氷へ落ちるかに魚干しを張っている。浪人の過去は、見物人には余興だった。ハルヴォルは賭け声を無視し、銀環だけを見た。主の名を奪われることを、船を失うより恐れていた。
「円から出るか、剣を落とした方が負けだ」
海風が霜を削り、氷の上を白く走らせる。円の外には海水の黒い亀裂があり、落ちれば鎧の重みで戻れない。船長は救助を禁じた。負けた者へ縄を使えば、その分だけ帆綱が減るからだ。
ハルヴォルの剣は重い。首長の前で盾となった男の剣だ。エギルの剣は細い。首長の背後で逃げ道を探した男の剣だ。どちらが忠臣だったかは、首長が死んだ今となっては誰にも決められない。
三合目、ハルヴォルの刃がエギルの肩当てを割った。
「環を渡せ」
「勝ってから取れ」
エギルは柄頭を振った。緩めていた銀環が外れ、氷へ落ちた。
環は澄んだ音を立て、円の外へ滑っていく。
ハルヴォルの目が動いた。
死んだ首長の名が、海へ向かって遠ざかる。彼は剣を持ったまま、一歩だけ環を追った。近衛だった身体が、命令より先に動いた。
踵が円を越えた。
船長の槍石突きが氷を叩く。
勝負は終わった。エギルの剣先は、ハルヴォルの喉へ届いていたが、刺さなかった。
「死人を囮にしたな」
ハルヴォルが言った。
「死人は給金を払わん。せめて働いてもらう」
エギルは円を出て銀環を拾い、ハルヴォルへ投げ返した。
「負けた者が持て。俺はもう主を要らん」
港番が斧を振り下ろすと、海門の鎖が沈み、長船の黒い帆が上がった。