青い歯ブラシ
朔也が借りている部屋に、青い歯ブラシがあった。
家具の少ないワンルーム。冷蔵庫には豆乳、棚には女性用の鎮痛薬、洗面台には私のものではないヘアゴム。朔也は「仕事用の仮眠室」と言っていたが、誰かを住まわせているのは明らかだった。
私は浮気を疑った。婚約者なら当然だ。
腹立ちまぎれに歯ブラシを折ろうとしたが、誰のものか確かめてからにしようと写真だけ撮った。洗面台の鏡には、私だけが堂々と映っていた。
ただ、玄関の靴は親友の澄花と同じサイズだった。薬の名前も、私が管理している彼女の処方と一致した。澄花は不安定で、衝動的に遠くへ行こうとする。だからパスポートも銀行印も、私が預かってあげている。
彼女の恋人候補は私が調べ、危なそうなら先に断った。勤務先の上司へ体調を伝えたこともある。澄花は恥ずかしがって怒ったが、怒れるくらい元気になったのだと安心した。私がいなければ生活できないのに、最近はカウンセラーまで「境界線」という言葉を教えたらしい。その言葉を使うたび、澄花は私から遠ざかった。
最近、彼女は「一人で決めたい」と生意気なことを言い始めた。朔也が吹き込んだのだろう。
部屋で二人を待つと、先に澄花が入ってきた。私を見るなり逃げようとしたので、腕をつかんだ。
「どうして隠れてたの。心配したんだよ」
「返して」
「何を?」
「パスポートと、通帳と、私の連絡先」
私は笑った。そんなものを持たせれば、また変な男に騙される。友人として守ってきたのに、澄花は私を見ず、後ろの朔也へ助けを求めた。
朔也は私の手を外し、鍵を取り上げた。
「ここは彼女の避難先だ」
その言葉で、私は浮気された被害者から、逃げられる側に変えられた。澄花は私が送ったメッセージを印刷していた。返信が遅い、服が似合わない、仕事を辞めた方がいい。どれも親切な助言だった。
警察へ行くと言われ、私は泣いた。婚約者と親友が組んで私を悪者にした、と。
洗面台の青は、私が澄花に「似合わない」と言って、昔捨てさせた色だった。