音の代わりに三回

彼女は花火の音をほとんど聞けない。

それでも夏祭りが好きだと言った。光は見えるし、地面から振動が伝わる。何より、みんなが同時に空を見る時間が好きなのだという。

同じクラスになって半年。僕は簡単な手話を少しだけ覚えた。挨拶と、ありがとうと、また明日。それだけで会話できると思っていた自分が恥ずかしい。

彼女は白い浴衣に青い帯を締めていた。学校では補聴器を隠すように髪を下ろしているが、その夜は耳が見える髪型だった。

「似合う」

僕が手で伝えると、彼女は笑って、少し違う、と指を直した。

人混みでは、声で呼び止められない。彼女は僕の手の甲を三回たたく。それが「止まって」の合図だった。

屋台の前で三回。信号の手前で三回。友達を見つけたときも三回。

やがて河原に着き、花火が始まった。

大きな光が開くたび、彼女の横顔が明るくなる。地面が震えると、彼女は足元を見てから空を見上げた。

僕は伝えたいことがあった。けれど覚えた手話では足りなかった。

「好き」

口で言っても、花火の音に関係なく届かないかもしれない。

僕はスマートフォンを出そうとした。彼女が止めた。

そして、ゆっくり口を動かした。

「言って」

唇を読めるのだと、前から知っていた。それでも緊張した。

僕は彼女の正面に立った。

花火が上がる。周囲の歓声が大きくなる。

それでも、彼女は僕の口だけを見ていた。

「好きです」

彼女はすぐには答えなかった。空に次の光が開く。

それから僕の手を取り、手の甲を三回たたいた。

止まって、の合図。

胸が沈んだ。

彼女は首を振り、僕の手のひらへ指で文字を書いた。

『今のまま動かないで』

そして同じように口を動かした。

「私も」

花火の音は僕の耳をふさいだ。けれど言葉は、今までで一番はっきり届いた。

帰り道、人混みの中で彼女はもう三回たたかなかった。僕らは最初から手をつないでいたからだ。

駅前で別れるとき、彼女は新しい合図を教えてくれた。

手のひらを二回、指先を一回。

「何の意味?」

僕が聞くと、彼女は声ではなく唇で答えた。

「また会いたい」

僕は忘れないよう、自分の手へ同じリズムを何度も刻んだ。