魔獣が嫌う無臭の英雄
獣舎の消臭係ノクシアは、鼻が利きすぎるせいで嫌われていた。
酒を隠した飼育員も、賄賂を受け取った監督も、彼女の前では臭いでばれる。だから皆、彼女の仕事を「糞の匂いを消すだけ」と小さく扱った。
技能欄にも華はない。
【消臭:空間に残る悪臭と、その発生源を中和する。】
建国祭の日、王都へ献上された百頭の魔獣が一斉に暴れ出した。
檻を破り、通りを走り、広場へ集まった市民へ牙を向ける。調教師の笛も鎮静魔法も効かない。騎士団は討伐を決め、弓を構えた。
ノクシアは風上で鼻を押さえた。
昨日から同じ臭いを監督へ報告していた。しかし「また誰かを疑っている」と笑われ、祭りの間は獣舎から出るなと命じられていた。今、檻の外へ出た獣たちだけが、彼女の警告が正しかったと全身で示している。
血の匂いでも、発情臭でもない。甘く腐ったような、背筋を縮ませる臭いが街中を覆っている。人にはほとんど感じられないが、魔獣には耐えられないほど強い。
臭いの流れをたどると、祭壇に立つ外国使節へ行き着いた。
使節の影から、角のある小さな悪魔が笑っていた。恐怖を臭いに変え、獣を狂わせる魔族だ。騎士に指さしても、悪魔は認識をそらし、誰にも見えない。
「臭わないものを、どう証明する」と使節は嘲った。
「悪臭なら、消せます」
ノクシアは消臭噴霧器の栓を全開にした。
透明な霧が広場を覆う。技能は漂う臭気を消しただけでは止まらず、その“発生源”へ逆流した。
悪魔の体から甘い腐臭が引き抜かれる。
同時に、姿を隠していた恐怖の魔力まで中和された。影から裸の悪魔が転がり出て、数百人の前で悲鳴を上げる。
臭いを失った魔獣たちは足を止めた。怒りではなく怯えで走っていた獣が、一頭ずつ地面へ伏せていく。
騎士団の矢は魔獣ではなく、使節と悪魔へ向け直された。
監督は青ざめてノクシアの腕章を外そうとしたが、獣王が先に彼女の前へ歩み寄り、鼻先を静かに垂れた。百頭すべてがそれに従う。
腕章の安物の文字が消え、銀色の新しい職名が浮かび上がった。
【職業「獣舎消臭係」が上位職「瘴香調律師」へ書き換えられました】