鯨骨の賽
潮の引いた石道を、敵将ケティル・ロークが一人で渡ってきた。
島砦の大広間には、麦酒もパンもない。炉では海藻が煮え、兵たちは革靴の底を切って噛んでいた。
砦の代官ブリンヨルは、鯨骨の賽を二つ卓上へ置いた。祖父が浜へ乗り上げた鯨から削った品で、角は三代の賭けに丸くなっていた。
「降るなら夜明けまで待つ」
ケティル・ロークは言った。
「夜明けでは遅い」
兵糧係のオッド・スケンが答えた。
「では今すぐ降れ」
「時を賭けよう」
賽を振り、高い目を出した方が攻める刻を決める。ケティル・ロークは笑って応じた。
敵将の賽は、六の面がわずかに重かった。鯨骨の中へ鉛を埋めた品だ。振れば一か二が出やすい。低い目を出したい賭けなら強いが、今は高い目が勝つ。
ケティル・ロークは賽を取り違えたふりをした。自分の細工賽をオッドへ渡し、正直な賽を握る。
オッドは気づいた。だが黙って振った。細工を指摘すれば交渉は終わり、その場で今夜の攻撃が決まる。負けることだけが、欲しい刻を買う手段だった。
一と二。
ケティル・ロークは六と五を出した。
「俺の勝ちだ。攻めるのは夜明け」
ブリンヨルの顔が歪む。今夜を越す食い物はない。
敵将が去ると、代官は斧を卓へ叩きつけた。
「なぜ細工を暴かなかった」
「夜明けが欲しかったからです」
「奴らは潮が満ちる前に渡ってくる」
「今年の冬至潮は、夜明けに最も引きます」
「なら敵に有利だ」
オッドは賽を拾った。
「石道の両側には、昨日から鯨油を流してあります。満潮では海に隠れる。干潮なら氷になります」
敵は広い道だと思って一列を崩す。革靴の鋲が油氷を噛まぬことは、島で冬を越した者しか知らない。滑ったところを砦から押し返せば、両脇は凍る海だ。
今夜攻められれば、油はまだ海水の下だった。
オッドは細工賽を炉へ投げた。骨が焦げ、鉛が光った。
「腹はどうする」
代官が訊く。
「海藻を飲ませます。戦う間だけ立てればいい」
夜が明けた。
潮は遠くまで退き、白い石道が朝日に光る。敵兵が盾を並べ、砦へ進み始めた。
オッドは空腹で震える手を革帯へ挟んだ。
ブリンヨルが斧を上げる。
砦の鴉旗が、凍った風に開いた。