黒板前のもう一人
担任は、風邪で声が出なくても学校へ行った。
授業を休めば学級が遅れる。
自習にすれば騒ぐ。
自分が黒板前に立たなければ、教室は成り立たないと思っていた。
出席簿の欠席欄へ自分の名を書いた瞬間、教卓の脇にもう一人の担任が現れた。
名を消すまで、代役が授業を受け持ち、本物の声は誰にも届かない。
本物は教室の後ろへ座った。
生徒たちは代役を本人だと思っている。
もう一人の担任は字を間違えず、説明も簡潔だった。
騒ぐ生徒へ怒鳴らず、一度黙るだけで静かにした。
本物より授業が上手だった。
休み時間、生徒たちが話した。
「今日の先生、分かりやすい」
「いつもより怖くない」
本物は落ち込んだ。
一人の生徒だけが、教卓へ行った。
「先生、今日は変です」
代役が尋ねる。
「どこが?」
「黒板の漢字を間違えない」
「間違えない方がいいでしょう」
「僕が直すところ、ない」
その生徒は、授業中ほとんど発言しない。
ただ担任が字を間違えるたび、小さな声で教えてくれた。
本物は、助けられていることを恥ずかしく思い、すぐ書き直していた。
生徒にとっては、それが教室へ参加できる数少ない役目だった。
別の生徒も、
「先生、今日、一度も変な例えしない」
と言った。
皆が笑った。
担任の説明は時々遠回りで、授業が遅れる。
それでも、その遠回りで質問しやすくなる生徒もいた。
本物は出席簿から自分の名を消した。
代役が消え、声が戻る。
「今日は先生、欠席するつもりでした」
かすれた声で正直に話した。
「でも来ました。だから、半分自習にします」
生徒たちは驚いたが、課題を分け、黒板へ答えを書いた。
担任は椅子へ座り、間違いを指摘する役を生徒へ任せた。
翌日、担任は本当に休んだ。
教室は少し騒ぎ、課題も全部は終わらなかった。
それでも崩れなかった。
復帰後、欠席欄には代役を呼ぶためでなく、休む日を自分で書くようになった。
黒板では今も漢字を間違える。
生徒が直すと、
「助かった」
と消さずに一度言う。
完璧なもう一人より、不完全な先生と役目を分ける教室の方が、全員の居場所を少し広くした。