黒胡椒を二度
城戸灯子が検査薬を箱へ戻したのは、午前零時を過ぎてからだった。
結果はまだ見ていない。見る前から、喜べない自分だけがはっきりしていた。
同居している恋人は子どもを望んでいる。灯子も「いつかは」と答えてきた。けれど仕事の研修に応募したばかりで、今はそのいつかではない。結果がどちらでも、恋人の期待を裏切る気がして、洗面所から出られずにいた。
望んでいないと言えば冷たい人になる。嬉しいふりをすれば、自分の時間を自分で手放す。その二つしかないように思えていた。
恋人は優しい。だからこそ、傷つける側になるのが怖かった。怒鳴られる想像より、黙って悲しまれる想像のほうが、灯子の口を固くした。
キッチンへ戻ると、レンズ豆のスープが一杯だけ置かれていた。恋人の姿はなく、玄関の靴も消えている。鍋の横には「散歩してくる」とだけ書かれた紙があった。
黒胡椒の香りが強い。恋人はいつも、仕上げにミルを二度ひねる。灯子は辛いと言いながら、一度分だけなら好きだった。
スプーンを入れると、豆の粒が舌の上でほろほろほどけた。灯子は一口食べ、胡椒の瓶を手に取った。
一度ひねる。
そこで止めるつもりだった。
けれど、もう一度ひねった。恋人と同じ二度。相手に合わせるためではない。今夜だけは、辛いものを辛いまま食べて、自分が何を怖がっているのかをごまかさないためだった。
半分ほど食べてから、灯子は検査薬を持ってきた。説明書どおりの時間はとっくに過ぎ、結果はもう出ている。
それでも先にスープを食べた。
最後の一口だけを器に残し、恋人へメッセージを送る。
――帰ってきて。結果を見る前に、私は今は望んでいないと伝えたい。
送信後も、残った一口には手をつけなかった。相手が帰るまで答えを保留するためではない。自分の言葉を言い終える前に、いつものように全部丸く収めないためだ。
やがて玄関で鍵が回った。
恋人は検査薬ではなく、まず残されたスープを見た。そして灯子の向かいへ座る。胡椒を足すことも、食べ切れと言うこともしなかった。
恋人が椅子を引くと、二人の間には検査薬より先に、まだ飲まれていない一口が置かれた。