書いたのは誰か

鹿波出版の最終面接で、堂前沙都は嘘つきとして落とされかけていた。

履歴書には、前職で文芸誌の編集長を三年とある。ところが照会先からは「編集補助だった」と回答が来た。面接官の須田は、机の下の評価票に不採用の付箋を貼っていた。

「私は編集長と書いていません」

堂前は静かに言った。鞄から自分で保存した応募画面の印刷を出したが、須田はまだ受け取らなかった。印刷物なら、あとから作れる。

人材紹介会社の担当者が、横から口を挟む。「ご本人に確認したうえで、職務内容を市場に伝わる表現へ整えています」

「編集補助を編集長にするのが、整えることですか」

「実質的に雑誌を回していたと伺いました」

須田はため息をついた。候補者と紹介会社が責任を押しつけ合う場面は珍しくない。堂前の否定も、苦しくなった応募者の逃げ道に見えた。だからこそ、口頭ではなくシステムの履歴を見ることにした。

堂前は「応募者画面の履歴を見てください」と言った。

須田が採用システムを開く。最初に堂前本人が入力した経歴は〈編集補助・校正・進行管理〉。その二日後、紹介会社のアカウントが〈編集長・企画統括〉へ変更し、在籍期間も一年八か月から三年に延ばしていた。更新時刻は朝八時十四分だった。

さらに連絡欄には、堂前から担当者へ送ったメッセージが残っていた。

〈編集長経験はありません。誤解を招くので元に戻してください〉

返信は〈企業受けする表現です。面接では柔軟に〉。堂前が再度抗議したメールには、須田の採用共有アドレスがCCされていた。紹介会社側が、自動振り分けで見落としていただけだった。

担当者の顔色が変わる。「彼女も最終版を見て、面接に来ています」

「修正されないなら辞退すると、昨日も送りました。今日、直接説明するために来ました」

須田は不採用の付箋をはがした。評価票の余白へ、堂前が補助として担当した三冊の具体的な改善実績を書き直す。どれも照会先が認めた、本当の仕事だった。

そして採用システムで、堂前を「内定」に、紹介会社を「取引停止審査」に変更した。