ハリネズミ仕立店の裏地
藤代琴子の紺色のコートは、外から見ると何も問題がなかった。
けれど右の袖を通すたび、裏地の裂け目へ指が入る。直そうと思いながら冬を二度越し、三度目の朝、とうとう内側が大きくほどけた。
商店街の「針葉仕立店」へ持ち込むと、ハリネズミの店主・針葉が眼鏡を上げた。人間の縫い子が採寸台を片づけ、湯気の立つアイロンを用意する。
「表はきれいですね」
「見えるところは」
「見えないところが、よく働いたのでしょう」
琴子は百貨店の受付をしている。
制服の皺、声の高さ、立つ位置まで整える仕事だ。帰宅すると服を脱いだまま椅子へ置き、自分の食事は冷たいままで済ませる。外側が崩れなければ、それでよいと思っていた。
針葉は裏地の見本帳を開いた。
「同じ紺で直しますか。それとも黄色」
「なぜ黄色?」
「表から見えない場所ほど、好きな色でよい」
見本は山吹色で、小さな葉の模様が入っていた。
「派手すぎます」
「脱いだ人しか見ません」
「人に見られたら」
「見られるほど近い人なら、笑ってもらいなさい」
琴子は迷い、黄色を選んだ。
修理を待つ間、店の奥で人間の縫い子が紅茶を淹れた。針葉は背中の針へ糸巻きをいくつも差し、歩くたび色が揺れる。
「便利ですね」
「勝手に置かれるんです」
店員が笑った。
一週間後、コートの内側は春のように明るくなっていた。袖を通すと、新しい布が腕を滑り、以前より少し温かく感じる。
「裏地は休む場所です」
針葉が言う。
「表の布が風を受け、裏が体を守る。どちらも仕事をしています」
翌朝、琴子は受付の休憩室でコートを脱いだ。同僚が黄色い裏地に気づき、「かわいい」と声を上げた。
琴子は反射で隠しかけ、やめた。
「直してもらったの」
それだけ言うと、思ったより嬉しかった。
その夜、琴子は帰宅してスープを温めた。コートは椅子へ放らず、玄関の壁へ掛ける。裾が揺れるたび、山吹色が細く覗いた。
部屋には野菜の湯気と、仕立店から移った羊毛とアイロンの匂いが残っている。外からは見えない場所に明るい色がある。それだけで、明日の風にもう少し立っていられる気がした。