一センチの定規
祖父は家具職人だった。
引退後も工房を残していたが、脳梗塞で右手が動きにくくなってから、道具へ触れなくなった。
孫娘が「人形の机を作って」と頼んでも、
「もう無理だ」
と答えた。
翌朝、三十センチの木の定規が、二十九センチになっていた。
端が切れたわけではない。
数字だけが詰まり、最後の一センチが消えている。
祖父がリハビリを断って「もう無理だ」と言うたび、定規は一センチ短くなった。
二十八、二十七、二十六。
孫娘は面白がって毎朝測った。
祖父は気味悪がり、引き出しへ隠した。
それでも言葉を口にすると、中で小さな木の音がした。
二十センチになった日、孫娘が泣いた。
「机、十センチあれば作れるよ」
人形用の机に必要なのは、祖父が思うほど長い寸法ではない。
祖父は左手で鉛筆を持ち、板へ線を引いた。
線は曲がった。
「ほら、無理だ」
引き出しから、こつんと音がした。
定規は十九センチになった。
孫娘は曲がった線の上へ、もう一本曲がった線を引いた。
「曲がってる机にする」
「そんな物、机じゃない」
「人形は文句言わない」
祖父は笑い、久しぶりに鋸を握った。
右手では押さえられないので、孫娘が板を固定した。
切り口は斜めになり、脚は四本とも長さが違った。
祖父は何度も「無理だ」と言いかけ、そのたび口を閉じた。
完成した机は、置くと少し揺れた。
孫娘は人形を座らせ、折り紙のノートを載せた。
「ちょうどいい」
祖父は満足しなかったが、壊そうともしなかった。
定規は十九センチのまま止まった。
元には戻らない。
祖父は残った長さで作れる物を考えた。
小箱、写真立て、孫の鉛筆立て。
大きな箪笥は作れないが、小さな道具なら左手でも扱えた。
工房の前へ「修理します」と札を出すと、近所の人が椅子や額縁を持ってきた。
祖父はできない物には「今の手では難しい」と答えた。
「もう無理だ」とは言わなくなった。
孫娘が中学生になった頃、あの机を持ってきた。
脚は一本外れ、天板には落書きがある。
「直せる?」
祖父は十九センチの定規を当てた。
「やってみる」
定規は短いままだった。
けれど工房の中には、失った十一センチより多くの物が増えていた。
曲がった机も、左右の違う箱も、できないことを言い換えた日々も、全部きちんと居場所を持っていた。