三センチの裾

紳士服店で補正受付を始めて五日目、羽鳥杏は、紙袋からスラックスを取り出した客に言われた。

「短すぎます。明日の最終面接で履く予定だったんです」

客が試着すると、裾は靴の甲に届かず、くるぶしが見えた。受付票には股下六十九センチ。杏が採寸し、客が確認した署名もある。

店長は「数値どおりですので」と説明し、同型品の割引を提案しようとした。初クレームを長引かせないための定型だった。

杏は、裾の内側に残る白いチャコ線を見つけた。現在の折り目より三センチ下。さらに切り落とした布を保管する小袋には、「七二」と自分の字で書いてある。

受付票だけが六九になっている。

その日のレジ記録をたどると、採寸後に客が面接用の革靴へ履き替え、杏は鏡の前で数値を七二へ直した。客も「この長さ」と頷いている。だがタブレットの「更新」を押す前に別の接客へ呼ばれ、画面が自動保存されないまま閉じていたのだ。署名があっても、それは古い数値への署名だった。

「こちらの記録ミスです。今日中に三センチ戻します」

店長が小声で言う。「面接なら、新品を貸したほうが早い。補正跡が見えたら困るよ」

杏は縫い代を確かめた。幸い、裾布は十分に残っている。折り跡を蒸気で起こし、手まつりをやり直せば、表には出ない。

閉店後、杏は補正室でアイロンを当てた。縫い糸を一本ずつほどき、当て布を濡らす。白い蒸気が上がり、古い折り線が少しずつ消える。裾の内側には、次に直す人が迷わないよう元の長さを小さく記した。客が戻って試着すると、裾は靴の甲で一度だけ折れた。

「これなら行けます。短いままなら、服のせいにして面接へ行かないところでした」

客は鏡の前で背筋を伸ばした。杏は「服のせいにさせたのは私たちです」と、もう一度頭を下げた。

杏は受付タブレットに、数値変更時は客と一緒に更新完了画面を見る手順を追加した。翌日の予約表には、初めて一人で担当する補正相談が入っている。

店長が外そうとしたチェックを、杏は戻した。

「そのご予約、私が測ります。今度は、保存まで一緒に確認します」