二本目はいらない
「傘くらい、自分で買える」
映画館を出た途端に土砂降りとなり、有働七瀬はコンビニの傘売り場で言った。
多賀谷玖音は返事もせず、最後に残った大きなビニール傘を一本だけレジへ持っていった。
「私の分は?」
「これ、二人用」
「どこに書いてあるの」
「今、決めた」
七瀬と玖音は、何でも割り勘にする友人だった。どちらかが多く払えば、次の会計で必ず帳尻を合わせる。誕生日の贈り物さえ同じ価格帯を相談して決めていた。映画代も、夕食も、旅行のホテルも一円単位で分ける。周囲にデートだと言われれば、「友達だから気楽なんだ」と同時に否定した。
だから、一本の傘だけは困る。どちらが多く払ったかではなく、どちらが相手を近くに置きたかったかが見えてしまう。
外へ出ると、傘は思ったより小さかった。
「二人用じゃない」
「寄れば入る」
「それが嫌だから二本欲しかったの」
「嫌?」
玖音が足を止める。七瀬は答えられず、代わりに傘の外へ半歩出た。すぐに肩へ冷たい雨が落ちる。
玖音は七瀬の腕を引き戻し、自分の側へ寄せた。その拍子に、傘の柄を持つ手が重なる。
交差点を渡るあいだ、七瀬は手を離さなかった。車が跳ねた水を玖音が背中で受け、二人そろって声を上げて笑う。玖音も何も言わない。いつもの軽口がなくなると、雨音だけが近すぎた。
七瀬のマンション前で、玖音は傘を差し出した。
「持って帰って。俺は走る」
「割り勘は?」
「今日はいい」
「よくない」
七瀬は傘ではなく、玖音の手首をつかんだ。スマホを開き、次に観たい映画の座席を二つ予約する。支払いは七瀬がまとめて済ませ、予定名を《七瀬と玖音》にした。
「次は私が払った。だから返すのはその日」
「傘を?」
「一緒に入る権利を」
玖音が笑い、つかまれた手をほどく。そのまま七瀬の指へつなぎ直した。
「じゃあ二本目、買わなくて正解だった?」
七瀬は傘を二人の真ん中へ戻す。
「二本目はいらない。次も、半分ずつ濡れるから」
自分で買えるはずの傘を一本にしたことで、二人は初めて、割り切れない関係を選んだ。