五秒後の空杯
鷹栖真琴は、自分の杯の中身を相手の杯へ全部注いだ。
透明と青の液体が混ざり、相手の器だけが満杯になる。真琴の手には、濡れた空杯が残った。
《五秒後、毒の入っていない杯を手にしていた者が勝者となる》
対戦相手の弁護士は鼻で笑った。
「自分の杯を捨てたつもりか? お前の液体が安全なら、私の杯も安全になるだけだ。毒なら、お前が触れた時点で——」
「勝敗は五秒後だ」
真琴は空杯を両手で抱えた。杯の底に液体判定用の小さな光があり、空になった瞬間、赤から白へ変わっていた。器ではなく現在の中身を測っている。その確認まで済ませている。
どちらの液体に毒があったとしても、今、彼女の杯には入っていない。相手の杯には二つ分が混ざっている。毒が一つなら、必ずそちらにある。
弁護士の顔から笑みが消えた。杯を置きかけ、壁の「手にしていた者」という文字を見て止まる。持たなければ勝者になれない。持てば毒を抱える。
残り二秒。
彼は真琴の空杯を奪おうと腕を伸ばした。真琴が半歩退く。満杯の器を持ったままでは追えず、注ぎ返す時間ももうない。
「卑怯だ……」
真琴は、開始前から杯の注ぎ口を相手側へ向けていた。五秒でできるのは一度の移し替えだけ。相手が理屈を理解した時には、反撃の手順を考える時間そのものが残っていない。
「あなたは最初から、飲むゲームだと思っていた。『毒入りの杯』と聞くと、人は喉を守ろうとする。でも今回守るべきなのは、手にしている器よ」
五秒の鐘が鳴る。
真琴の空杯の指紋環だけが青く点灯した。毒の有無を調べる対象は液体であり、器に残った水滴は基準値以下。注ぎ切る時、最後の一滴まで相手側へ落とした慎重さが勝敗を分けた。
『勝者、鷹栖真琴』
相手の杯の底が開き、混ざった液体が腕へ噴きつけた。皮膚から入る毒だった。弁護士は声もなく崩れる。
真琴は空杯を判定台へ置く。
「主催者も同じ思い込みを利用した。だからこそ、飲めとは一度も言わなかった」
扉が開く。
彼女の杯には、水滴一つしか残っていなかった。
そして毒は、一滴もなかった。