仮縫いの帰り道
洋服直し店「縫い代」は、駅ビルの改装で退去を求められていた。移転資金はない。花房悠真は、閉店用の段ボールを組み立てながら、翌日の面接へ着ていく古いスーツを眺めていた。
七年前に買ったもので、肩は落ち、裾は擦れている。東雲がそれを見つけた。
「貸して」
「もう店の注文じゃないですよ」
「だから失敗しても怒られない」
二人は作業台を空けた。花房がスーツを着て、東雲が背中を摘まむ。鏡の中で、花房は腕を上げたり下げたりした。これまで客の服ばかり見てきたので、自分が待ち針を打たれる側になると落ち着かなかった。
「面接、受かったら辞める?」
「ここ、なくなるでしょう」
「質問に答えてない」
花房は黙った。東雲は余分な布へ印をつけ、スーツを脱がせた。
ミシンの糸が何度も切れた。店で一番古い機械だった。花房が上糸を通し、東雲が下糸の張りを直す。縫ってはほどき、背中の線を少しずつ狭くした。二人は以前、花房が客のコートを焦がした件で揉めて以来、同じ台を使わないようにしていた。
「弁償、まだ給料から引かれてます」
「知ってる」
「店が閉じたら残りは?」
「店長に聞いて」
東雲はそう言いながら、擦れた裾へ自分の補修布を当てた。材料代の伝票は切らなかった。
午前零時、スーツは新品には見えないが、花房の肩に沿う形になった。鏡の前で立つと、借り物のようだった服が少しだけ自分のものに見えた。
翌朝、花房は面接へ向かった。駅ビルの通路には「改装後テナント募集」の幕が下がっている。縫い代の名前はどこにもない。
面接を終えた彼は、スーツのまま店へ戻った。東雲はいなかった。作業台には、花房が昨夜抜き忘れた待ち針が一本と、昼の予約客の伝票が置かれていた。
花房は上着を脱ぎ、店のハンガーへ掛けた。肩が崩れないよう、詰め物まで入れた。帰宅用のパーカーに着替え、伝票のズボンを広げる。面接の結果が出るのは一週間後だ。それまでスーツは、型崩れさせず、持ち帰らずここに置いておくことにした。