保健室の黄色いリボン
菫は、人の多い場所で息がうまくできなくなることがあった。
朝礼、体育館、文化祭の廊下。胸が狭くなり、音が遠ざかると、保健室の一番奥のベッドへ逃げた。白いカーテンを閉めれば、学校から少しだけ消えられた。
結月は、無理に励まさなかった。
菫が保健室にいると知ると、カーテンの端へ黄色いリボンを結んだ。中へ入らず、声もかけない。「ここにいるよ」の印だった。
一年の合唱祭でも、二年の進路説明会でも、三年の模試の日でも、目を開けると黄色い結び目が揺れていた。
卒業式当日、菫は体育館の入口で足が止まった。保護者と在校生の視線、椅子を引く音、壇上の花。息が浅くなりかけた。
けれど、列の前にいる結月が、振り返らずに右手を下ろした。手首に、あの黄色いリボンが巻かれていた。
菫はその色だけを見て歩いた。
式の間、逃げ出したくなる瞬間は何度もあった。名前を呼ばれる直前、校歌の前奏、卒業生が一斉に立つ音。それでも、菫は最後まで自分の椅子に座った。
式後、保健室へ行くと、ベッドのカーテンには何も結ばれていなかった。
養護教諭が机を片づけながら言った。
「結月さん、さっき来たよ。リボンを返しに」
「返す?」
「もう、ここじゃない場所で使うって」
菫は窓から校庭を見た。校門のそばに結月がいる。黄色いリボンは、今度は門柱へ結ばれていた。風にほどけそうになりながら、外側へ長く伸びている。
菫は保健室を出た。
廊下には同級生があふれていた。呼び止められ、写真を頼まれ、肩を抱かれた。息は少し苦しかった。それでも、足は止めなかった。
校門まで来ると、結月が訊いた。
「結び方、覚えた?」
「たぶん」
「苦しくなったら?」
「結ぶ」
「どこに?」
「逃げる場所じゃなくて、戻る場所に」
菫は門柱のリボンをほどき、自分の鞄の持ち手へ結び直した。
二人で校門を出る。背後で歓声が上がり、菫は反射的に振り返った。
学校はまだそこにあった。
消えなくても、外へ出られるのだと、その日初めて知った。