保留中の応答席

コールセンターには、端末のない椅子を一脚多く置く。

すべてのオペレーターが同時に客を保留したとき、その椅子のヘッドセットが鳴る。最も近い者は受話器を取り、聞こえた一文を、自分が保留している客へ一字も変えず伝える。謝罪や説明を足してはいけない。一文を伝えると、どれか一件の通話が切れる。どの客が切れたか確認するのは禁止である。

鹿子木は夜間の解約窓口で、応答席の隣に座っていた。壁の大型画面には待ち時間と放棄呼数が赤く流れ、椅子一脚分だけ数字の列が空いている。新人はそこを見ないよう教えられた。

三年前、同じ席には教育担当の先輩がいた。苦情を受けても声を荒らげず、休憩になると紙コップへ角砂糖を三つ入れた。ある朝、先輩は社員証とヘッドセットを置いて退職した。鹿子木は理由を聞かなかった。忙しかったし、いつでも連絡できると思った。番号はその日のうちに使われなくなった。

先輩の退職後、鹿子木は彼女の席を引き継いだ。応答時間は短くなり、顧客満足度も上がった。感情を挟まない話し方まで真似たからだ。月ごとの表彰メールには名前が載ったが、そのたびに、空の椅子へ礼を言うような気持ちになった。もちろん実際には何も言わなかった。先輩の机だった引き出しには、未使用の角砂糖が今も三個、透明な袋の中で固まっていた。

午前二時、料金改定への抗議が集中した。全員の保留ランプが赤くなり、端末のない椅子のベルが鳴った。

鹿子木はヘッドセットを取った。

耳元で、先輩の声が言った。

「保留のままで、いなくなったと思わないでください」

鹿子木は、自分の客へ同じ一文を伝えた。相手は黙った。直後、フロアのどこかで接続音が切れた。誰も画面を確認しない。

鹿子木の客だけは、まだつながっていた。

「あなた、誰に言ってるんですか」と客が尋ねた。

規則では説明を足せない。鹿子木は初めて、マニュアルではなく自分の言葉が必要な沈黙を抱えたまま、保留を解除した。

退勤時、端末のない椅子からヘッドセットを外そうとすると、コードが脚へ十三回巻きついていた。ほどいた輪の中心に、先輩の古い社員証があった。写真の口元には、角砂糖の白い粉が一粒だけ付いていた。