別会計でお願いします
二十八歳の誕生日、母は莉子のメニューを閉じた。
「この子はサラダランチで。ドレッシングは別添えにしてください」
店員が莉子を見る。莉子が口を開く前に、母は続けた。
「来月、写真を撮るんです。少し絞らないとね」
写真とは、母が申し込んだ結婚相談所のプロフィール写真だった。莉子は今朝、予約をキャンセルしたばかりである。母にはまだ伝えていない。
「私はハンバーグにします」
「莉子ちゃん」
「チーズ入りで。ライスも普通盛り」
「誕生日だからって、好き放題はよくないわよ」
店員は一歩下がり、視線だけで確認を求めた。
「チーズハンバーグ、普通盛りでお願いします」
母はため息をつき、自分には魚料理を注文した。食事が来るまで、母はスマートフォンで「二十八歳からの婚活」という記事を見せてきた。莉子は水を飲み、記事がスクロールされるたびに、テーブルの木目を一本ずつ目で追った。
「写真館、土曜の十一時に変更しておいたから」
「キャンセルしたよ」
「何を?」
「写真も、相談所も」
「勝手なことをしないで」
「私の名前で申し込まれたものを、私の名前で断っただけ」
母は声を落とした。
「あなたは自分の立場が分かってないの。二十八よ」
「知ってる。今日なったから」
ちょうどハンバーグが運ばれ、鉄板の上でソースが激しくはねた。会話を遮るほどの音に、莉子は少し救われた。チーズを包んだ肉へナイフを入れると、中から白い湯気が出た。
母は魚をほぐしながら言った。
「あとで後悔しても知らないわよ」
「そのときは、私が知るよ」
食べ終わるころ、店員が小さな誕生日プレートを運んできた。母が予約時に頼んだらしい。チョコレートで〈りこちゃん おめでとう〉と書かれている。
莉子は笑ってしまった。
「そこまでちゃん付けなんだ」
「可愛いでしょう」
「書き直してもらうほどじゃないけど、次からは莉子で」
母は返事をせず、プレートの写真を撮ろうとした。
「婚活用にも使えるかも」
「載せないで」
「家族に見せるだけよ」
「私の写真だから、載せないで」
母はスマートフォンを下ろした。
会計票が一枚、テーブルの端に置かれる。母が手を伸ばすより先に、莉子はそれを取った。
「別会計でお願いします」
「誕生日くらい払わせなさい」
「じゃあ、プレートだけお願い。私の選んだものは私が払う」
レジで金額が二つに分かれた。母は魚料理とプレート、莉子はハンバーグとライス。
店を出ると、母が「来年もここにする?」と聞いた。
莉子は少し考えた。
「来年は、店を一緒に選ぶなら」
母は不満そうに眉を寄せたが、「分かった」とだけ言った。
莉子は自分のレシートを財布へ入れた。二十八歳最初の支払いは、思っていたよりおいしい金額だった。