千秋楽の通知を伏せて

久慈依子は花屋で働きながら、月に一度だけ、別の街の劇場へ行く。

店ではおとなしく、流行にも疎い人と思われている。遠征用のスマホケースも、勤務中は裏返して引き出しに入れる。表には、推しが主演する舞台の紋章が大きく印刷されているからだ。

店長が以前、常連客の持っていた俳優グッズを見て「若い子は熱心だね」と笑ったことがある。悪意のない一言だったが、依子は自分がその「若い子」に含まれると知られたくなくて、翌日からケースを伏せるようになった。

土曜の千秋楽へ向かうはずだった金曜日、昼の休憩中に通知が届いた。

《主演俳優の体調不良により、全公演中止》

新幹線もホテルも取ってある。何より、半年待った最後の一回だった。遠征用に選んだ紫のワンピースも、昨夜アイロンをかけたばかりだ。依子は画面を伏せ、楽しみにしていた事実ごとしまうように、何事もなかった顔で店へ戻った。

その日は送別会用の大きな花束を仕上げる仕事があった。紫の花を挿すたび、舞台の照明を思い出す。手元が止まり、若いアルバイトが「大丈夫ですか」と覗き込んだ。

伏せたスマホがもう一度震え、ケースの紋章が見えた。依子は慌てて隠そうとしたが、アルバイトは花束を少し手前へ引いた。

「店長には、私が水をこぼしたことにします。五分、裏にいてください」

理由を聞かず、作業台の前に立ってくれた。

裏口で通知を読み直すと、悔しさより先に、自分が悲しむことさえ隠しているのが苦しくなった。戻った依子は、アルバイトへ中止になったことを話した。

「それ、残念って言っていいやつです」

短い言葉だった。依子は初めて、職場で「楽しみにしてた」と声にした。

花束が完成すると、余った紫の小花が一本だけ残った。依子は捨てず、スマホケースの紋章に挟んだ。

翌月のシフト希望表には、代替公演の土曜へ丸をつける。理由欄に「舞台遠征」と書き、裏返していたスマホを表向きに置いた。

店長が表を回収しに来ても、依子は花を挟んだ紋章を伏せなかった。