反逆者の婚約契約

建国記念夜会で、国境の音楽が流れた瞬間だった。

「ラゼッタ・グリモール。君は反逆者と密会していた」

 王太子バシュランが、玉座前で婚約者を告発した。

「西境の自治派と三度も会い、王家へ無断で条件を提示した。国家への裏切りだ。婚約を破棄する」

 侍女上がりの寵姫ミュリエが、悲しそうに首を振る。

「ラゼッタ様がそこまで王妃の座を欲しがっていたなんて……」

 ラゼッタは反論より先に、胸元の鎖を外した。下がっていたのは宝石ではなく、一枚の小さな羊皮紙である。

「殿下。わたくしの告発は、自治派との交渉、その一点ですね」

「証拠は挙がっている」

「ええ。こちらが証拠です」

 進み出たのは、西方諸国の王太女セラドナだった。夜会でラゼッタに声をかけた、ただ一人の客である。

 彼女は羊皮紙を受け取り、折り畳まれた婚約契約を広げた。

 第九条。

 王太子妃候補ラゼッタは、国境紛争回避のため自治派との予備交渉を担う。

 交渉内容は王太子の命により秘匿する。

 末尾には、バシュランの血印がある。

「反逆ではない」とセラドナが告げた。「あなた自身が命じた和平交渉だ。成果だけを王太子の手柄とし、失敗すれば婚約者を切る契約になっている」

 広間の視線が、一斉にバシュランへ向いた。

「国家機密を人前で開くとは!」彼は叫んだ。「だから女に外交は任せられない」

「人前で反逆者と呼ばれなければ、開きませんでした」

 ミュリエがそっと王太子から腕を抜いた。「契約など誰も読まない」という彼の口癖を、今さら思い出した顔だった。血印だけは、持ち主を見捨てず赤く光り続けている。

 ラゼッタは第九条を指でなぞった。和平は成立寸前だった。自分が王妃にならなくても、国境の村は守れる。

「ラゼッタ、これは政治上の演出だ。君なら理解できるはずだ。婚約は戻す」

「契約は読みました。破棄の宣言も聞きました。どちらも理解しております」

 セラドナが手を差し出す。

「西方連盟の全権使節として、交渉の続きをしないか。今度の契約には、あなたを切り捨てる条項を入れない」

 ラゼッタは元婚約者に背を向け、王太女の手を取った。