名前のない夕食

栗栖穂波は、食べたものに必ず名前をつけた。

料理情報サイトの編集者として、日中は「十分快速ごはん」「自分をいたわる夜スープ」といった見出しを作る。帰宅後の食事も、写真を撮り、材料を書き、翌日の企画に使えるよう記録した。冷凍うどんでも、ねぎを斜めに置けば「疲れた日の香味うどん」になる。

仕事が忙しくなるほど、穂波の食卓は整った。疲れていると認める代わりに、副菜を一つ増やす。残業で二十三時を過ぎても、コンビニの惣菜を皿へ移し、木のトレーに並べた。誰にも見せない日まで、暮らしを記事のように仕上げた。

秋の特集を入稿した夜、穂波は駅の売店で鮭のおにぎりと紙カップの味噌汁を買った。部屋へ帰ると、テーブルの上には撮影用のランチョンマットが敷いたままだった。

いつものようにおにぎりの包装を外し、皿へ置こうとした。

手が途中で止まる。

皿に置けば、海苔の向きを整える。味噌汁には乾燥ねぎを足し、光を調整して撮る。写真を見れば、もう少し色が欲しいと思い、冷蔵庫から漬物を出す。その一連の作業が、果てのない廊下のように感じられた。

穂波は包装を外さなかった。

ランチョンマットを端へ寄せ、紙カップへ湯を注ぐ。おにぎりは袋のまま、テーブルへ置いた。

湯気で眼鏡が曇った。写真を撮るには最悪の瞬間だった。

穂波はスマートフォンを鞄から出さず、包装の切り口を引いた。海苔が少し破れ、米が指につく。味噌汁は濃く、おにぎりは端だけ冷たかった。

食べながら、今日の夕食にどんな言葉をつけるか考えた。入稿後のごほうび。頑張った夜の省力ごはん。心をほどく一汁一飯。

どれもやめた。

スマートフォンのメモには、《疲労時の食事企画》という下書きが開いたままだった。今夜のことを書けば、無駄にはならない。穂波は一行目へ指を置き、保存せずに画面を閉じた。

名前をつけなければ、役に立たない夜になる。それでよかった。

食後、穂波は紙カップを捨て、皿を一枚も洗わなかった。テーブルには米粒が一つ落ちていた。

翌朝まで、その夕食は誰にも読まれないまま残った。