呪いではなく石鹸を

王都の噴水へ紫斑の白狼が現れた。

本来は雪色のはずの毛に、禍々しい紫の染みが広がっている。宮廷魔術師は一目見るなり「古代呪詛だ」と宣言し、広場へ結界を張った。

洗濯職人のブリサは、結界の外から匂いを嗅いだ。魔力検査は最低値だったが、百種類の汚れを見分ける鼻と指を持っている。宮廷衣装の染みを消しても、名前が表に出たことはない。

「それ、呪いじゃなくて染料です」

誰も信じない。白狼が身震いすると紫の飛沫が石畳へ散り、魔術師たちは悲鳴を上げた。

ブリサには見覚えがあった。祭りで使う安物の紫粉は、雨に濡れると毛へべったり張りつく。しかも油を混ぜてあるので、水だけでは落ちない。白狼は全身を舐めようとしては、苦い味に顔をしかめていた。

「舐めたらお腹を壊しますよ」

彼女は結界をくぐった。魔術師の制止より、仕事の染みのほうが気になった。

白狼の前に石鹸を置き、まず自分の手で泡立てて見せる。柑橘も香料も入っていない、赤子の布にも使える石鹸だ。白狼は泡を嗅ぎ、鼻先へつけて小さくくしゃみをした。

「洗ってもいい?」

大きな頭が少し下がる。

ブリサは噴水のぬるい側の水を桶に汲み、毛の流れに沿って泡を揉み込んだ。紫の水が流れ、下から眩しい白毛が戻ってくる。首、背、腹、尾。白狼は途中から完全に横たわり、腹まで差し出した。泡だらけの前足をブリサの肩へ置き、逃げないよう押さえる仕草に、広場から小さな笑いが漏れた。

一時間後、広場には真っ白な神獣がいた。

宮廷魔術師は咳払いをし、「浄化術は我々の結界が効いたのだ」と言った。

白狼は立ち上がり、全身をぶるりと振った。大量の水滴と残った泡が、魔術師だけを頭から濡らした。

群衆が笑いをこらえる中、白狼はブリサの手へ鼻をつける。洗濯桶の形をした銀印が手首に浮かび、神獣専属浄衣師という聞いたこともない称号まで光の文字で現れた。

ブリサが腰を下ろすと、白狼は当然のように膝を枕にした。乾ききらない白毛は湯たんぽを包んだ毛布のようで、ずっしりした頭から伝わる熱が、洗い疲れた腕までほどいていった。