嘘を飲み込む真鍮杯

宵から暁までのあいだだけ、食器店〈口直し〉は客を迎える。昼に並ぶ華美な銀器とは違い、店主ペトラが扱うのは、言えなかった言葉のための器だけだった。

ある夜、外交官のレグナートが真鍮の杯を求めて訪れた。彼は挨拶もせず、紙へ用件を書いた。

――口を開くと、言葉がすべて反対になる。

和平交渉で呪詛を受けて以来、「賛成」は「反対」に、「守る」は「捨てる」に変わった。翌朝には停戦文へ返答しなければならない。筆談は偽装を疑われ、代理人も立てられない。すでに一度、「停戦を望む」と言おうとして「侵攻を望む」と発し、国境の兵を動かしかけた。

店主のペトラは、棚の中央にある一客だけの杯を下ろした。

〈裏言杯〉です。飲み物ではなく、最初に口から出る嘘を一つ飲み込みます」

レグナートは疑わしげに水を注いだ。杯の内側へ黒い文字が浮かぶ。

《私は戦争を望む》

彼の顔が強張る。それは呪いが言わせようとしている言葉だった。

「飲んでください」

水を口にすると、黒い文字が舌の手前でほどけ、杯の底へ沈んだ。ペトラが問う。

「あなたは戦争を望みますか」

レグナートは喉を押さえ、慎重に答えた。

「望まない」

反対にならない。店の契約石も緑に光り、真実だと認めた。念のため彼が「和平など不要だ」と言うと、今度は呪いどおり「和平は必要だ」に反転する。効いているのは、杯に預けた最初の一文だけだ。

彼はもう一度水を注ごうとしたが、ペトラが止める。

「一晩に一度だけ。言える真実は一つです」

「十分だ。明朝、必要なのは一文だけだから」

彼は停戦文を取り出し、署名欄の横へ書いた。

――我が国は、この和平を守る。

明日その場で同じ一文を口にすれば、呪いより先に杯が嘘を飲む。長い弁明も巧みな演説も要らない。

値段は金貨三枚。レグナートは五枚を置いた。

「残りは?」

「次の一杯の予約だ」

「一晩一度ですよ」

「だから予約する。和平のあと、呪いを解くまで毎夜、本当のことを一つずつ言い直す」

彼は最初の一文を練習するように、口の形だけで繰り返しながら帰った。

ペトラが杯を磨く。底に沈んだ黒い嘘が消えた頃、戸口のベルが、今度は軽やかな本音のように鳴った。