四拍目のハーモニー

防音スタジオの合鍵が、受付の封筒から消えた。

玖村音羽が借りているのは、古い雑居ビルの四階だ。昨夜スタジオへ入れたのは、バンド仲間の秋庭透子、音響の名取結城、ビル主の喜多見だけ。翌朝のオーディション用データは無事だったが、鍵を勝手に使われたと思うと落ち着かなかった。音羽はこの審査に落ちたら、音楽を仕事にするのを諦めるつもりだった。その決意だけは、透子にも話していない。

室内には三つの痕跡があった。メトロノームが、音羽の昔の曲と同じ七十二に設定されている。マイクケーブルは左利きの透子がする巻き方。そして自販機のレシートには、昨夜二十三時五十八分と印字されていた。

ピアノ椅子を開けると、合鍵と一本のUSBが入っていた。

「見つけた?」

背後で透子が言った。

音羽は一週間前、オーディション曲から透子のハーモニーを外した。以前、録音中に透子が「音羽の声は細いから、一人だと弱い」と言ったからだ。その言葉がずっと刺さり、ついには自分の声まで不要に思えていた。

透子は昨夜、合鍵で入り、消されたハーモニーを録り直した。ただし音羽の声を覆わず、四拍目だけ支えるように、ごく小さく。

「弱いって言いたかったんじゃない。壊れそうだから、支えたかった。でも言い方、最低だった」

透子は謝るための言葉を何度も考えたが、面と向かうと喧嘩になる気がして、音で置いていくことにしたという。

名取は録音を手伝い、喜多見は夜間使用を黙認した。三人がかりの秘密だった。喜多見が鍵の封筒へ「点検中」と書かなかったのは、字でばれるほど嘘が下手だからだという。

音羽はUSBを再生した。自分の息のすぐ後ろから、透子の声が現れる。前へ押すのではなく、倒れない幅だけ隣にいる声だった。最初に二人で歌った頃から、透子はいつもその場所にいたのだと分かった。

スタジオを出ると、透子が自販機のミルクティーを差し出した。昨夜と同じ銘柄だ。

音羽は一口飲み、USBを握った。

「四拍目、借りるね」