在宅という約束
父は、最期まで家にいたいと言った。
少なくとも私は、そう聞いた。脳梗塞のあと言葉が不明瞭になった父の「びょういん」は、「行かない」にも聞こえる。家族なら、声より表情で本心が分かる。
私は二十八歳で仕事を辞め、父の団地へ戻った。訪問看護師が入院や施設のパンフレットを置くたび、見えない場所へしまった。父が迷うと不安になるからだ。質問は「ここがいいよね」と、はいで答えられる形にしてほしいとも頼んだ。訪問者の前では父の髪を整え、皿も二人分並べた。実際には食事介助が長引くのがつらく、父がむせると途中で下げる日もあった。それでも施設より私のそばが幸せだと信じた。
もう一つ、父が文字盤へ手を伸ばす時は、先に指を握った。震えが強く、間違った文字を選ぶと本人が傷つく。私が代わりに気持ちを言えば、父はたいてい目を閉じた。それを同意だと思っていた。
担当のケアマネジャーは、私が眠れていないことを心配した。ショートステイを提案されても断った。父との約束を、楽をするために破る娘にはなりたくない。
ある日、ケアマネジャーが私の買い物中に父と二人で話した。戻ると、文字盤の上に震える線で〈びょういん〉と残っていた。
私は父が混乱したと説明した。しかし担当者は、父が何度も同じ四文字を指した動画を見せた。さらに、私が破って捨てた入院同意書を、訪問看護師がごみ箱から回収していた。
父は家を望んでいたのではない。痛みを抑えられる病院へ行きたかった。
「でも、ここを出たら」
言いかけて黙った。この団地は父の名義で、単身の私には承継できない可能性が高い。父が長期入院すれば退去の話が進む。私は父のために戻ったのに、父がいなくなれば家も仕事も残らない。
救急車が来ると、父は初めて安心した顔をした。私は上着を持って追おうとしたが、担当者に今日は休むよう止められた。
父が搬送されたあと、私は玄関の内側からチェーンを掛けた。
まだここが私の家であるうちに、誰にも入ってほしくなかった。