売れるほど赤字になる万能薬
万能薬千本の注文が入った日、錬金工房〈月桂樹〉では祝杯が上がった。
翌朝、材料を買いに行った職人たちは、金庫が空になる計算を知った。
一本の販売価格は銀貨八枚。だが今期は月白草が不作で、瓶、薪、触媒まで含めた原価が銀貨九枚と銅貨二十枚。千本売れば、銀貨千二百枚の赤字になる。
工房主の長男ロヴェクは注文書を握り潰した。
「材料屋が値を上げたせいだ!」
違う。値上がりは三か月前から続いていた。経理担当ブラムは、製造釜ごとに材料費を記録し、販売価格の改定を求めていた。兄たちは「薬を作れない弟が数字で脅す」と笑い、前日に実家と工房から追い出した。
注文を断れば違約金。作れば作るほど損が増える。祝杯用に開けた高級酒の代金まで未払いだった。職人たちは給金が出ないと知り、火を落とした。
銀行は注文書を見ても融資を断った。売上が増えるほど返済原資が減る契約だからだ。材料商も前払いを要求し、空の釜だけが千本分の納期を刻み続けた。
兄たちは初めて、ブラムが採算の悪い薬を少量で止め、利益の出る薬へ釜を振り分けていたことを知った。彼を追い出したことで、工房には薬を作る腕は残っても、作るべき薬を選ぶ目がなくなった。
同じ町の小工房では、ブラムが解毒薬の値札を書き換えていた。原料の採取季節を変え、瓶を回収制にし、品質を落とさず原価を二割下げたうえで適正な利益を載せる。
店先では薬師組合長が、その計算表を掲げた。
「安売りではない。作る者も買う者も、来月また会える価格だ。これを組合の標準方式にする」
新工房の職人には、その日のうちに給金が払われた。客も値上げの理由を掲示で理解し、予約を取り消さない。ブラムの計算は薬を高くしたのではなく、万能薬を来月も店頭へ残した。
夕方、ロヴェクが注文書を持って乗り込んだ。
「家族だろう。今だけ戻って帳尻を合わせろ。終われば共同経営者にしてやる」
ブラムは新工房の契約印を乾かしながら答えた。
「帳尻ではなく原価の問題です。そして家族から除籍された日に、旧工房との契約は終了しました」