屋上放送、受信者一名
放送部の彼女は、人前で声が出なくなった。
昼の校内放送で原稿を読み間違え、教室中に笑われたのがきっかけだった。誰も悪意で笑ったわけではない。それでも彼女の喉は、マイクを前にすると固まった。
一週間後、僕は屋上で彼女を見つけた。手には小さな録音機。立入禁止の扉をどう開けたのか聞くと、「放送部には鍵より強いものがある」と言った。
「何」
「先生の予定表」
彼女はフェンスの前に立ち、録音ボタンを押した。
『本日の天気は晴れ。風速は、たぶん強めです』
声は震えていた。けれど最後まで出た。
「何してるの」
「練習。ここなら聞いてるの、あんただけだから」
僕は受信者一名になった。
それから放課後、彼女は屋上で架空の放送をした。
『購買のクリームパンは売り切れました』
『三年二組の窓際に、消しゴムの忘れ物があります』
『今日、保健室の先生はくしゃみを七回しました』
どうでもいい情報ばかりだった。僕はフェンス際に座り、ときどき拍手した。彼女は読み間違えると、自分で笑った。屋上では、その笑いが怖くないらしい。
ある日、原稿が変わった。
『本日、放送部の部長は、引退を考えています』
僕は顔を上げた。
『失敗する前の声に戻れないので、逃げようと思っています』
風が紙を揺らした。彼女は録音機を握りしめた。
「戻らなくていいんじゃない」
僕が言うと、彼女はマイクを下ろした。
「何が」
「前の声に。今の声でやれば」
「震えるよ」
「ラジオみたいでいい」
「適当」
「受信者一名の感想」
彼女はしばらく黙った。それから録音ボタンを押し直した。
『訂正します。放送部の部長は、もう少しだけ続けます』
その声も震えていた。けれど逃げなかった。
翌週の昼、教室のスピーカーから彼女の声が流れた。
『本日の昼休み、屋上は立入禁止です。繰り返します。屋上は立入禁止です』
クラスメートは誰も意味を知らない。僕だけが弁当のふたを閉じ、窓の外を見た。
放送の最後、ほんの一秒の間があった。
『なお、風速は、たぶん強めです』
僕は笑った。今度の笑いは、彼女の喉を固めないと分かっていた。
放課後、屋上へ行くと、録音機の隣に紙が置いてあった。
『受信者一名へ。本番、聞こえましたか』
僕は裏に書いた。
『感度良好。明日も受信します』
風が紙を飛ばしかけたので、二人で同時に押さえた。