希望退院
丹羽碧は心療病棟へ入るたび、受付で希望スコアを測る。見舞い前に自分の感情を知っておくための表示で、友人の叶多を訪ねる三週間で、碧は笑える記憶を一つ考えてから手首を置く癖がついた。
今日は六十一。受付票には「明るい話題を推奨」と印字された。
叶多は窓際の椅子で、靴下のまま外を見ていた。自殺未遂で運ばれてから、靴とベルトと充電ケーブルを預けられている。窓は指一本分しか開かない。そこから入る風で、カーテンだけが自由そうに揺れていた。
「退院、決まった」
声には喜びがなかった。
この病棟では、患者の希望スコアが六十を超えれば治療完了と判定される。本人が何を言っても、その数字だけが退院条件だった。
「よかったじゃん」と碧は言いかけた。
叶多が手首を見せる。六十八。
「昨夜、やり方を決めたら上がった」
碧は意味を理解するまで数秒かかった。
「先生に言ったのか」
「言ったよ。死ぬ準備ができて安心したって」
「それで退院させるのか? 言葉より数字を信じるのか」
「数値は嘘をつかないんだって」
ナースステーションへ走った。看護師は画面を示した。
《患者・叶多:希望六十八。社会復帰可能》
「これは希望じゃない。覚悟だ」
「感情の名称は統一されています。未来への明確な意思は、すべて希望として計測されます」
碧の数値が三十七へ落ちた。
「一人にしないでください」
「退院後の付き添いは、ご友人同士で相談してください。判定はもう変えられません」
叶多はベッド脇で、返却されたスニーカーに紐を通していた。一本ずつ、丁寧に。
碧は叶多の前へしゃがんだ。海へ行った夏の話をし、来月発売されるゲームを一緒に買おうと言い、好きだったバンドの曲を口ずさんだ。明日より先へ引っ張る言葉を、思いつく限り並べた。
「今日、うちに来いよ。明日も、その次もいろ」
「うん」
叶多の希望は七十二に上がった。碧の話が届いたのか、決めた方法へ近づけると思ったのか、数字からは区別できなかった。
退院通知が確定する。
《良好な感情回復を確認しました》
病院の玄関で、叶多は三週間ぶりの靴に足を入れ、紐を固く結んだ。受付は返却物に不足なしと告げた。碧はその手を見ながら、数字の外側にある約束を一つでも増やすため、話し続けた。