席次表の一番端
千景の婚約が壊れたのは、豪華な喧嘩ではなく、一枚の席次表からだった。両家の顔合わせで、岳の母は千景の母・夕子を配膳口の隣へ座らせた。千景は笑って受け入れ、その後も母を軽んじる言葉を飲み込み続け、結局、結婚式の一週間前に耐えきれなくなった。
破談の帰り道で倒れ、目を開けると顔合わせの料亭。生成り色の席次表と金の筆が、前と同じ位置にある。
岳の母が扇子を閉じた。
「家の格で決めただけよ」
一度目の千景は「お気遣いなく」と母を端へ案内した。今度は金の筆を取り、自分の名前を夕子の隣へ書き直す。
「では、私もこちらに座ります」
「主役が末席なんて、みっともないでしょう」
「私の家族をみっともない場所へ置く婚約なら、主役になる必要はありません」
夕子が止めようと袖を引く。前の人生で、母は最後まで「私のせいで破談にしないで」と謝った。千景はその手を握った。
「お母さんのせいじゃない。私が黙る婚約を選ばないだけ」
岳の母は息子へ席次表を突きつける。
「岳、この人に立場を分からせなさい」
同じ命令が来た。前回の岳は困ったように笑い、「今日だけ合わせて」と千景へ囁いた。千景は彼を見ず、金の筆を卓上へ置いた。助けを催促しない。彼自身が選ぶ番だ。
岳はしばらく席次表を見つめ、それから自分の名前を消した。
「僕も千景さんと夕子さんの隣に座る」
母親の扇子が床へ落ちた。
「何を言っているの」
「立場を分かりました。僕は家名の代理人じゃなく、千景さんの婚約者候補です。候補でいたいなら、まず僕が変わります」
前の人生では一度も聞けなかった言葉だった。
夕子は目元を押さえながらも、「私のために喧嘩しなくていいのよ」と言わなかった。代わりに岳へ、少しだけ椅子を寄せる。それが彼に与えられた最初の、そして無条件ではない歓迎だった。
午後八時。以前なら両家の連絡網に《婚約解消》と流れた時刻、千景のスマートフォンが震える。岳が新しいグループを作っていた。
《三人で次の食事を決める会》
参加者は千景、岳、夕子だけ。席次表の一番端が、初めて三人の真ん中になった。