床洗浄機の円
翠は休憩室の小窓から、売り場の床洗浄機を見下ろしていた。
二十四時間営業のスーパーでは、客が少なくなる午前三時に床を磨く。丸いブラシが回り、白い照明を含んだ水を薄く広げ、すぐ後ろで吸い取っていく。進む。曲がる。また同じ場所へ戻る。機械の低い唸りが、冷蔵ケースのモーターと重なっていた。
休憩室の空調は強く、翠は制服の上から腕をさすった。
今夜の弁当はヨーグルトと小さなパンだけだった。食欲がないのではない。仕事の前に、昔の友人たちの写真を見てしまったのだ。海辺の旅行。子どもの誕生日。新しい部屋。画面の中の生活はどれも昼の光で撮られ、翠の勤務時間とは交わらないように見えた。
自動販売機が内部で冷却音を立てる。
売り場では床洗浄機が円を描く。
窓に雨粒が一つ、二つと増える。
翠はパンの袋を開けた。
そのとき、下の売り場で機械が止まった。清掃担当の人が顔を上げ、小窓のほうを見た。目が合ったのかどうか分からない距離だったが、その人は手袋をはめたまま、額のあたりへ二本指を上げた。
翠も小さく手を上げた。
相手はすぐ機械へ向き直り、ブラシを回した。挨拶だったのか、照明の反射を避けただけなのかもしれない。
床の水に、天井灯が丸く映る。ブラシが通るたび光は崩れ、また別の場所で形をつくった。
壁の勤務表には、早朝の人の名前がもう並んでいた。翠が売り場を離れる頃に来て、棚の前面を整え、値札を替える人たちだ。同じ店で働いていても、顔を合わせるのは月に数分しかない。けれど休憩室の砂糖やスプーンは、誰かの時間から誰かの時間へ黙って補われていた。
翠はヨーグルトの蓋を開けた。スプーンが付いていないことに気づき、引き出しを探す。奥に一本だけ透明なものが残っていた。誰かが補充したのだろう。
深夜の店では、ものがなくなる前に誰かが足し、汚れが残る前に誰かが回収する。顔を知らない手の仕事が、朝の売り場をつくっている。
翠はパンを最後まで食べた。
床洗浄機はもう遠い通路へ移り、円の音だけが壁越しに続いている。友人たちの昼へ入れなくても、今いる夜には自分の座る椅子がある。
休憩が終わる。翠は空調の風を背に受けながら、売り場へ戻った。今夜は一人で品出しを続けても、静けさに置き去りにはされないと思えた。