廊下の白い薬
手術前夜、病室の子どもは両親が平気な顔をしているのが嫌だった。
「すぐ終わる」
「先生に任せれば大丈夫」
二人とも笑う。
怖いのは自分だけだと思った。
看護師が眠れない子へ、白い薬を半錠くれた。
「飲むと一時間だけ、病室の外の人から見えなくなります」
本来は検査用らしい。
子どもは点滴台を押し、廊下へ出た。
両親は面会時間を過ぎ、談話室に残っていた。
母が言った。
「私、怖い」
父は、
「私も」
と答えた。
子どもは足を止めた。
母は、手術の説明を半分しか覚えていない。
父は同意書へ署名するとき手が震えた。
二人は子どもの前で笑う役を交代していたらしい。
「大丈夫って言いすぎたかな」
「本人が、大丈夫じゃないって言えなくなるよな」
「でも、何て言えばいいの」
「怖いけど、一緒にいる?」
「それじゃ親が弱いみたい」
「弱いよ、今は」
子どもは、自分の怖さが両親へ伝染したのではないかと思った。
同時に、両親の怖さのせいで自分が病気になったわけでもないと分かった。
三人とも、それぞれ怖いだけだった。
一時間が終わる前に病室へ戻ろうとした。
曲がり角で父とぶつかった。
見えない子どもへ父は謝り、点滴台だけが動くのを見て悲鳴を上げた。
薬の効き目が切れ、子どもの姿が戻る。
両親は何も聞かず抱きしめた。
「談話室の話、聞いた」
母の顔が青くなる。
父は言い訳しようとし、やめた。
子どもが先に言った。
「私も怖い」
母は、
「うん」
と答えた。
「大丈夫じゃない」
「うん」
父も続ける。
「大丈夫じゃなくても、明日一緒に行く」
手術当日の朝、三人は平気なふりをしなかった。
子どもは泣いた。
母も泣き、父はハンカチを二枚忘れた。
看護師が三枚貸した。
手術は終わり、子どもは回復した。
退院の日、廊下の白い薬について尋ねると、看護師はそんな薬は知らないと言った。
子どもはもう必要なかった。
見えなくならなくても、両親の本音を全部知る必要はない。
ただ「怖い」と言えば、二人も同じ言葉で隣に立ってくれると知っていた。