忘れ物市場

月に一度、終電後の駅前に「捨てた物だけ扱います」という市場が開いた。

客は、自分で手放して後悔している物を買い戻せる。

代金は、今持っている物を一つ、その場で置いていくこと。

元教師は、赤い封筒を探した。

教え子から卒業前にもらい、忙しさに紛れて読まず、引っ越しで捨てた手紙だった。

その教え子は学校を辞め、その後の行方を知らない。

市場の奥で、赤い封筒が見つかった。

未開封のまま。

値札には「現在の勲章一つ」とある。

元教師は、教育表彰の盾を持ってきていた。

長年の功績を示す、家で最も立派な物。

迷わず交換した。

手紙には、授業の感想ではなく、

「学校を辞めたい。先生なら一度だけ止めてくれると思った」

と書かれていた。

元教師は座り込んだ。

手紙を読んでいたとしても、教え子が残った保証はない。

それでも、助けを求める声を未開封のまま捨てた事実は変わらなかった。

翌月、再び市場へ行った。

「失った時間を買い戻せますか」

店主は首を振った。

「物だけです」

「では、この手紙を返す相手の住所を」

「それは、あなたがまだ持っていない物です。ここでは売れません」

元教師は表彰盾を取り戻そうとした。

棚にはもうなかった。

誰かが買っていったのだろう。

仕方なく、教え子を探した。

同窓生へ連絡し、古い住所をたどり、何度も断られた。

一年後、小さな印刷会社で働いていることが分かった。

会いに行くと、元教え子は手紙を見て苦い顔をした。

「今さら読んだんですか」

「今さらです」

「止めてほしかったわけじゃない。誰か一人に、辞めたいと言ったことを覚えてほしかった」

「覚え損ねました」

元教師は盾の代わりに、何もない両手を見せた。

「今から覚えてもいいですか」

相手は許さなかった。

それでも、退職後に始めた夜間の学習会へ、印刷の相談に乗ることだけは承諾した。

市場はその後も現れたが、元教師は何も買わなかった。

捨てた物を戻しても、捨てたときの自分まで直るわけではない。

手紙は額に入れず、鞄へ入れた。

折れ、角が傷み、何度も読み返した跡が付いた。

立派な盾はなくなった。

代わりに、未開封にしないための重さが、鞄の底へ残った。