拍手の途中から
外山万里は、駅の自由演奏ピアノの前だけ歩幅を速める。
十年前まで、毎日弾いていた。音大を目指した最後の発表会で、同じ小節を二度間違えた。演奏後の拍手が、慰めにしか聞こえなかった。翌月にはレッスンを辞め、就職してからは鍵盤へ触れていない。音楽が嫌いになったわけではない。好きなまま下手になることが怖かった。
実家の電子ピアノには、今も万里の楽譜が載っている。母から処分を訊かれるたび「今度片づける」と答えた。捨てれば終わり、弾けば衰えを知る。その間に置いておくため、触れない楽器だけが十年残った。
ある夕方、四歳くらいの女の子がピアノの前で、演奏中の男性へ勝手に拍手をしていた。曲の途中でぱちぱち、休符でぱちぱち。母親が止めても、こまちは「いま、いい音だった」と言って手を叩く。
演奏が終わると、男性は笑って席を立った。こまちは椅子へよじ登り、一本の鍵盤を鳴らした。高すぎる音が駅の天井へ跳ねる。
万里が通り過ぎようとすると、こまちが呼び止めた。
「おねえさん、これの続きやって」
「私は弾けないよ」
「一個鳴ったから、続きあるよ」
「曲じゃないでしょう」
こまちはもう一度、同じ鍵盤を押した。
「間違えた音も、もう一回だと続きになる?」
万里の胸に、十年前の小節が戻った。二度目に間違えたとき、最初へ戻ろうとして指が止まった。途中から続ければよかったのに、終わったものを最初からやり直せないことが恥ずかしかった。
母親がこまちを椅子から下ろし、謝りながら連れていった。鍵盤には小さな指の跡が残っている。
駅の放送が流れ、誰かのキャリーケースが鍵盤の前を横切った。十年前の拍手も、今の雑踏も、万里が音を止めた理由を問いたださない。こまちが鳴らした一音だけが、曲の途中に置き忘れられたように残っていた。
人通りが少なくなっても、万里はピアノの前に立っていた。最初の曲を選ぶ必要はない。上手に弾く約束もいらない。
椅子の高さを合わせる手順だけは身体が覚えていた。掌には薄く汗がにじみ、足はペダルの位置を探す。弾けるかどうかではなく、触れなかった年月の重さが、鍵盤一枚ぶんずつ並んでいた。
万里は椅子へ座った。発表会で止まった小節の、次の音だけを探す。
震える指で一鍵を押し、その音が消える前に、もう一つ隣の鍵盤へ指を移した。