旧版図面
コンクリート打設開始まで、残り十五分。夜明け前の現場には、生コン車が六台並んでいた。運転手たちも窓からこちらを見ていた。
私は現場端末に表示された基礎図を見て息を止めた。柱の位置が二十センチずれている。三週間前に破棄された旧版だった。
「止めてください」
伏見谷岳志はヘルメットの顎ひもを外したまま笑った。
「また高遠の心配性か。工程を遅らせたら責任取れる?」
「このまま打てば、上部構造が載りません」
「副社長の俺の父が、君より俺を信じるよ」
岳志は開始ボタンを押した。
私は非常停止をかけた。ポンプ車が唸りを止め、現場中の視線が集まった。基礎は一度打てば戻せない。壊して掘り直せば三か月、損失は数億円。何より、ずれを残したまま上へ積めば、完成後に安全を証明できなくなる。
岳志は私の腕章を外し、「命令違反で帰れ」と怒鳴った。作業員たちは迷ったが、誰も再開ボタンを押さなかった。前夜、私が全員へ最新版の注意点を説明していたからだ。岳志だけが、その説明会をゴルフのため欠席していた。
そのとき、発注元の技術監査官が車から降りた。今日は抜き打ち確認の日だった。端末の送信履歴には、岳志が最新版を旧版へ差し替え、私の警告を削除した記録が残っていた。
監査官は地面の墨出しを見て言った。
「停止が三分遅ければ、全撤去でした」
さらに本社から連絡が入った。伏見谷副社長が入札情報漏洩の疑いで事情聴取を受け、臨時取締役会で解任されたという。
岳志はなおも強気だった。
「親父の件と現場は別だ。俺はプロジェクト責任者だぞ」
発注元の代表が契約変更書を差し出した。
「責任者を高遠依澄さんへ変更しない限り、契約を解除します」
社長はその場で署名した。
「伏見谷岳志を重大な施工妨害と記録改ざんにより懲戒解雇。高遠さん、再開判断をお願いします」
私は最新版の図面を開き、位置を確認した。
「打設、再開してください」
ポンプ車が再び動き始める横で、岳志のヘルメットだけが回収箱へ落ちた。