明日のロールキャベツ

 宇野椿は、夫の哲巳が残した亀と暮らしている。

 陸亀の翁は急ぐことを知らず、朝、居間の端にいたと思えば、夕方には窓辺へ着いている。

 哲巳が最後に作った料理は、ロールキャベツだった。その夜、二人は些細なことで言い争い、椿は「今はいらない」と鍋の蓋を閉めた。翌朝には仲直りできると思っていた。

 冷凍庫に一つ残っていたロールキャベツを、椿は一年捨てられなかった。食べるには古く、捨てれば最後の夕食まで失う気がした。

 命日の前日、椿は同じ料理を作ることにした。

 合挽き肉へ玉葱を入れ、茹でた葉で巻く。けれど煮ると中身が固くなり、哲巳のようなふんわりした食感にならない。

 古いレシピ帳を開くと、頁の端にパン粉ではなく〈食パンの耳を牛乳で戻す〉とあった。さらに、鍋の絵の下に一行。

〈翌日の方が味が丸い。椿は熱いと急いで食べるから、少し冷まして出す〉

 椿は椅子へ座り、しばらく笑いながら泣いた。

 あの料理は最後の言葉でも、別れの支度でもなかった。哲巳は当たり前に翌日を考えていた。椿だけが、食べなかった一皿に特別な意味を背負わせていたのだ。

 新しい鍋で、ロールキャベツをゆっくり煮た。トマトの酸味に、肉と玉葱の甘さが溶ける。食パンを混ぜた中身はやわらかく、ナイフを入れると湯気がほどけた。

 椿は一つだけ食べ、残りは鍋ごと冷蔵庫へ入れた。

「今日は、これでいいよね」

 翁は床の上で首を伸ばしただけだった。

 翌日の昼、温め直した一つは、本当に味が丸くなっていた。椿は冷凍庫の古い包みを取り出し、ありがとうと言ってから処分した。

 空いた場所へ、新しいロールキャベツを一つ入れる。

 台所にはトマトと月桂樹の香りが残り、翁が歩く爪の音は、明日まで続く時計のようにゆっくり響いていた。

 古い包みを捨てたあと、椿は冷凍庫の棚を拭いた。白く空いた場所は寂しいというより、次の鍋をしまえる余白に見えた。翁の野菜も同じ棚へ並べる。哲巳のいない暮らしを始めることは、哲巳との暮らしを消すことではなかった。