明日の船のわかめ

羽鳥碧生が採用通知を印刷したのは、島を出る前夜だった。

午前一時、伯母の台所には、わかめと白身魚のスープが湯気を立てていた。潮に似た匂いが鼻へ届き、わかめは舌の上を滑って喉へ落ちた。

碧生は高校卒業後、伯母の民宿を手伝ってきた。両親を早くに亡くした自分を育てた人を一人にできないと、島外の求人は見るだけにしていた。

けれど今回は応募した。面接も受けた。採用通知まで来た。

島では誰かが民宿を継ぐものだと思われている。伯母は一度も頼んでいないのに、碧生のほうが期待を先回りし、断られる前から自分の進路を小さくしていた。

民宿の予約台帳には、来月以降も碧生の担当欄がある。自分で書いた予定なのに、それを破ることが伯母との約束を破ることのように思えた。

明日の始発船に乗ると、まだ言えていない。

伯母は一杯だけよそい、自分は食べずに戸棚を片づけていた。いつもなら大鍋を食卓に置くのに、今夜は残りが見当たらない。碧生は、その不自然さを問いただす勇気もなかった。

碧生は魚を崩しながら食べた。伯母の包丁は骨を一本も残さない。子どもの頃から変わらない手間が、引き止める言葉のように思えて苦しかった。

器を空にすると、底に短いわかめが一枚だけ張りついていた。

碧生はそれをスプーンで剥がし、口へ運ばずに器の縁へ置いた。全部食べたふりをすれば、何も言わずに朝を迎えられる。そう考えたとき、伯母が戸棚から保温ポットを出した。

中には、同じスープが一杯分だけ入っていた。

蓋に油性ペンで「明日の船」と書いてある。

碧生は伯母を見た。伯母は採用通知を見たとも、行ってこいとも言わない。ただ器の縁に残ったわかめをつまみ、保温ポットへ落とした。

「忘れ物」

それだけだった。

碧生は採用通知をテーブルへ出した。説明する文章を用意していたが、もう読まなかった。代わりにポットの蓋を自分で締め、鞄のいちばん上へ入れた。

翌朝、伯母は港へ見送りに来なかった。民宿の朝支度があると知っていたから、碧生も桟橋を振り返らなかった。

船が港を離れてからポットを開けると、「忘れ物」と呼ばれた一枚が、最初の一口に浮かんだ。