暗室の二十四時間

母の葬儀のあと、父と息子は写真館の暗室へ入った。

二人で店を片づけるためだった。

父は昔ながらのフィルムにこだわり、息子はそんな店を継がず都会へ出た。

母だけが、どちらの言い分も聞き続けていた。

棚の奥から、母が最後に使ったフィルムが見つかった。

父が引き伸ばし機の灯りを一度点けると、外の一秒が、暗室では一時間になった。

扉の向こうの葬儀客は、帰りかけた姿のまま止まっている。

暗室の時計は二十四時間進んだ。

父と息子は、一日かけて最後のフィルムを現像した。

最初の写真は、店の前を掃く父。

次は、久しぶりに帰省して眠る息子。

台所の焦げた鍋、庭の猫、二人が背中合わせで新聞を読む姿。

母は病気になってからも、家の中の何でもない場面を撮っていた。

十二時間目、息子が言った。

「母さんは、店を継いでほしかったのかな」

父は薬品を混ぜながら答えた。

「聞いたことがない」

「聞けよ」

「お前も聞かなかっただろ」

また喧嘩になった。

けれど暗室では逃げても外へ出られない。

扉を開ければ二十四時間が終わり、写真も途中になる。

二人は黙って作業を続けた。

最後の一枚が液の中から浮かんだ。

空の椅子が二脚、店先に並んでいる。

椅子の間には、小さな札。

「話が長くなる人用」

母の字だった。

父が笑い、息子も笑った。

それから、父は初めて店を畳むのが怖いと言った。

息子は、継げないことを申し訳なく思っていたと答えた。

二人とも、母がいなければ話せないと思っていた。

実際には、母が椅子だけ残していた。

二十四時間目、最後の写真を水から上げた。

扉を開けると、外では二十四秒しかたっていなかった。

葬儀客の一人が「忘れ物ですか」と尋ねた。

父は濡れた写真を持ち上げた。

「これから話すことを、少し」

写真館は半年後に閉めた。

息子は店を継がなかった。

ただ、二脚の椅子と暗室の道具を都会の部屋へ運び、月に一度、父と写真を焼く日を作った。

二人の話は相変わらず長く、途中でよく喧嘩した。

母の椅子は空いたままだったが、その空席があるから、どちらも途中で立ち去らなくなった。